学校の給食費を払わない親のことを以前からよく聞くようになった。
そんな時に必ず話の中心になるのが、経済的に豊かであるにかかわらずに払わないというケースだ。
すると、給食をやめてお弁当にしろとか、払っていない子に給食を出さなければ良いという意見が普通に出てくる。
しかし、本当に払えないという家庭もある。
給食費を払えない家庭が今の時代、稀というなら、昭和40年代には既に稀だった。
著名な作家の太田治子さんが小学生だったのは昭和30年代だが、給食費を払わない子は彼女がクラスでただ1人だった。彼女は太宰治の娘であるが、太宰の妻の子ではなく、太宰より40歳近くも若い母親の静子が1人で育てていた。親子は貧しく、バラック(急造の粗末な建物)の2階で間借り生活をしていて、給食費を払う余裕はなかった。治子は学校でもいつも1人でいたと言い、いじめられたとまでは言わないが(言わないだけかもしれないが)、教師に露骨に無視されていたことは明かしている。孤立した子供には、これは教師による十分ないじめだろう。
今の時代にも、本当に給食費を払えない子は確実にいる。
ある小学校では、給食制度がなく、子供達はお弁当を持ってくるのだが、1人の教師が、お弁当を持って来ない子がいることに気付き、尋ねると、その子はいつも「忘れた」と言う。そうでないことは明らかで、教師は毎日自腹でその子にパンを買って与え、いつ洗濯したか分からないようなその子の服を洗濯してやったようだ。
貧しいなら行政補助をと言う人もいると思うが、いかなる補助金の申請であれ、複雑怪奇で手間がかかり、多くの母親にとってはとても手の出せるものではない。この子供の例では、母親は早朝から深夜まで働いているがゆえにお弁当を用意できないのであり、そんな手続きをする暇も気力も無いに違いない。どこで入手して良いか分からないような書類を漏れなく集めて完璧に記述し、どこにあるのか分からない指定の場所を探し当てて持参しても、いつお金が下りるか曖昧なことを言われたままひたすら待つしかないのではないかと思う。身障者手帳の手続きだって、身動き出来ない一人身の老人に、書類を自力で集めて、役所まで期限日以内に持って来いと言うくらいだ。
まあ、私も大学の学費の件で行政に脅された経験があり、その手のことには心証が悪いのは確かであるので、やや辛辣かもしれない。
できれば、給食費は無償が良い。そのために税金が上がるならやむを得ない。消費税が5パーセント上がることがなんだろうと私なら思う。
発展途上のある国では、国際的なNPO団体の活動により、子供達は学校の給食は無償で出るのだが、子供達はそれをほとんど食べずに家に持って帰る。でないと、家族が飢え死にするのだ。
また、やはりある貧しい国で、日本人の教師が、遠足の時、自腹で子供達のお弁当を用意すると、その見たこともないような素晴らしいお弁当に子供達は大喜びするが、お昼になって、「さあ、食べよう」と言っても誰も食べない。子供達は、空腹であるのに、「こんな素晴らしいお弁当を1人で食べるわけにはいかない。持って帰って家族にも食べさせたい」と言い、結局、誰も食べなかったようだ。
一方、日本では食べ物の半分以上は捨てられているらしい。
それはともかく、払えるのに給食費を払わないなら、それは仕方がないではないか。彼らは、将来、そのツケを悲惨な形で払うことを選んだだけなのだ。それはそれで意味もあるだろう。金が足りないなら、その分、全員の給食の量を減らせば、辛い部分もあるかもしれないが、結果的にはむしろ素晴らしいことになるだろう。私は、ライブドアと同期に上場したソフトブレーンの創業者の宋文洲さんに2度ほどお会いしたことがあるが、彼は小学生の時、片道十数キロの通学をしていたが、お弁当を持っていけなかったらしい。しかし、彼は健康そうだった。むしろ、日本の子供達は食べ過ぎて身体を弱くしているのかもしれない。
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そんな時に必ず話の中心になるのが、経済的に豊かであるにかかわらずに払わないというケースだ。
すると、給食をやめてお弁当にしろとか、払っていない子に給食を出さなければ良いという意見が普通に出てくる。
しかし、本当に払えないという家庭もある。
給食費を払えない家庭が今の時代、稀というなら、昭和40年代には既に稀だった。
著名な作家の太田治子さんが小学生だったのは昭和30年代だが、給食費を払わない子は彼女がクラスでただ1人だった。彼女は太宰治の娘であるが、太宰の妻の子ではなく、太宰より40歳近くも若い母親の静子が1人で育てていた。親子は貧しく、バラック(急造の粗末な建物)の2階で間借り生活をしていて、給食費を払う余裕はなかった。治子は学校でもいつも1人でいたと言い、いじめられたとまでは言わないが(言わないだけかもしれないが)、教師に露骨に無視されていたことは明かしている。孤立した子供には、これは教師による十分ないじめだろう。
今の時代にも、本当に給食費を払えない子は確実にいる。
ある小学校では、給食制度がなく、子供達はお弁当を持ってくるのだが、1人の教師が、お弁当を持って来ない子がいることに気付き、尋ねると、その子はいつも「忘れた」と言う。そうでないことは明らかで、教師は毎日自腹でその子にパンを買って与え、いつ洗濯したか分からないようなその子の服を洗濯してやったようだ。
貧しいなら行政補助をと言う人もいると思うが、いかなる補助金の申請であれ、複雑怪奇で手間がかかり、多くの母親にとってはとても手の出せるものではない。この子供の例では、母親は早朝から深夜まで働いているがゆえにお弁当を用意できないのであり、そんな手続きをする暇も気力も無いに違いない。どこで入手して良いか分からないような書類を漏れなく集めて完璧に記述し、どこにあるのか分からない指定の場所を探し当てて持参しても、いつお金が下りるか曖昧なことを言われたままひたすら待つしかないのではないかと思う。身障者手帳の手続きだって、身動き出来ない一人身の老人に、書類を自力で集めて、役所まで期限日以内に持って来いと言うくらいだ。
まあ、私も大学の学費の件で行政に脅された経験があり、その手のことには心証が悪いのは確かであるので、やや辛辣かもしれない。
できれば、給食費は無償が良い。そのために税金が上がるならやむを得ない。消費税が5パーセント上がることがなんだろうと私なら思う。
発展途上のある国では、国際的なNPO団体の活動により、子供達は学校の給食は無償で出るのだが、子供達はそれをほとんど食べずに家に持って帰る。でないと、家族が飢え死にするのだ。
また、やはりある貧しい国で、日本人の教師が、遠足の時、自腹で子供達のお弁当を用意すると、その見たこともないような素晴らしいお弁当に子供達は大喜びするが、お昼になって、「さあ、食べよう」と言っても誰も食べない。子供達は、空腹であるのに、「こんな素晴らしいお弁当を1人で食べるわけにはいかない。持って帰って家族にも食べさせたい」と言い、結局、誰も食べなかったようだ。
一方、日本では食べ物の半分以上は捨てられているらしい。
それはともかく、払えるのに給食費を払わないなら、それは仕方がないではないか。彼らは、将来、そのツケを悲惨な形で払うことを選んだだけなのだ。それはそれで意味もあるだろう。金が足りないなら、その分、全員の給食の量を減らせば、辛い部分もあるかもしれないが、結果的にはむしろ素晴らしいことになるだろう。私は、ライブドアと同期に上場したソフトブレーンの創業者の宋文洲さんに2度ほどお会いしたことがあるが、彼は小学生の時、片道十数キロの通学をしていたが、お弁当を持っていけなかったらしい。しかし、彼は健康そうだった。むしろ、日本の子供達は食べ過ぎて身体を弱くしているのかもしれない。
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深く読ませていただいております。
1日2菜食(卵乳少量)人体実験4週間目ですが
早くも肉体的な効果を実感しつつあります。
さて学校給食についてですが、いわゆる給食利権なる
ものが深刻のようですね。
地元では給食費を一食あたりに換算すると333円の
負担をさせており(つまりメニュー内容としては900円
相当になるはず!?)ますが、その献立内容をみれば民間
の弁当屋なら質、量ともに倒産間違いなしの
ショボイものでした。与党も額面に囚われず内容で
仕分けて欲しいものです。
忙しい母親が食事を安価にすませようとした場合、
どうしてもジャンクへ向かう傾向があります。
そしてジャンクは、食べ過ぎるように設計されてますから
そうした勢力から子供を守る方向へ努力せねばならない
のが本来の行政対応だと思いますが現実は真逆です。
ジャンクの連鎖を止めるにはまず教師が食を慎むのが
早道と思いますが彼らも酒タバコすらやめられません
からね…