スイスの著名な精神医で心理学者のC.G.ユングは、雨乞い師(レインメーカー)の話がお気に入りだったようだ。
雨乞い師のようなものが本当に存在するだろうか?
当然、存在する。
そして、現在の人類、その中でも、特に日本人は、雨乞い師と反対のことではっきりと成果を上げているのだ。つまり、気象的な干ばつ以上に恐ろしい干ばつをもたらしているのである。
雨乞い師は、見世物商売ではない。そして、自然が雨を降らせないなら、それを妨げようなどとも思わない。しかし、人の心が招いた干ばつなら、手を差し伸べることもあるということだ。
成功とは何かは、人によってそれぞれ違う考えがあるかもしれない。
なぜ人によって成功の定義が異なるかというと、欲にまみれた人間が多いからだ。成功に色々な定義などありはしない。真の成功はただ1つだ。
しかし、食う腹しか持たぬ愚かな人間に合わせて言うなら、成功とは満足することだとでも言えよう。
だが、これだけは憶えておくべきだ。
成功をもたらすテクニックや秘密など絶対に存在しない。そんなものがあると言う者は、単に金儲けがしたいだけなのだ。その証拠に、テクニックや秘密の方法で成功した者などいない。逆に、テクニックや秘密で悲惨を味わった者は欲に駆られた者の数だけいる。つまり、数え切れない。
ユングの雨乞い師の話の中に、成功に必要な全てがある。
雨乞い師になれれば無敵であり、幸福でいられる。
抽象的に言うなら、そのために思い出すべきことは、ヨブ記にある「神と和らぎ平和でいなさい。そうすれば幸福になる」だけだ。
だが、こんな抽象的な言い方をするから宗教は嫌われるのだ。宗教者は世間知らずなので、こんな言い方しか出来ないのだろうか?
ユングのお話に出てくる雨乞い師に、誰かが雨を降らせる秘訣を聞いた。雨乞い師は当然「無し」と言った。
では、どうやって雨を降らせるのかと聞くと、雨乞い師は「何もしない」と言った。
ただ、敢えて言えば、雨乞い師は「神の意思に身を任せた」と言う。この言葉に対して、多少頭の良い学問バカが、またまた難しい抽象論を唱える。
神の意思に身を任せるとは、「何事もほどほどにやる」というだけのことだ。もっと具体的に言うなら、「ほどほどに酒を飲む」ということだ。
酒を飲むと言えば、「飲んで飲まれて飲んで」とばかりに、浴びるほど飲むか、ルドルフ・シュタイナーのように一滴も駄目と言うのが人間だ。至高の英知を持つシュタイナーすら誤ったのだ。だから彼の話は難し過ぎる(無論、本質は優れたものではあるが)。
空海や水野南北のように、1日1合(ほぼコップ1杯)と決めて飲むのが本当に賢い人だ。ただ、それは特に優れた人の場合で、凡人なら2合でも良い。だが、3合飲むなら愚か者だ。
甘いお菓子が好きなら、そこそこに食べれば良いが、みっともなく肥満するなら馬鹿だということだ。
しかし、今の日本は、人々が肥満しようがアル中になろうが、儲かりさえすれば、限度を知らずに飲み食いするよう煽ることが横行している。すなわち、神の意思を無視した国なのである。あらゆる意味で干ばつが起こるのは当然である。さて、これを整えるほどの強力な雨乞い師はいるのだろうか?
イエスは、「ソロモンよりもヨナよりも優れた者がここにいる」と救世主宣言をしたが、空海や南北、あるいは、黒住宗忠を超える救世主が日本にいるだろうか?
もしいるとすれば、彼はイエスがそうであったように、大嘘つきと呼ばれるだろう。あらゆる中傷にまみれ、罪人扱いされるに違いない。逆に言えば、世間に崇拝されるなら、彼はただのペテン師だ。
そして、世間に蔑まれ、罵倒される救世主は現代にもいるのだ。彼は偉大な雨乞い師であり、全ての雨乞い師の主人であり師匠である。
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雨乞い師のようなものが本当に存在するだろうか?
当然、存在する。
そして、現在の人類、その中でも、特に日本人は、雨乞い師と反対のことではっきりと成果を上げているのだ。つまり、気象的な干ばつ以上に恐ろしい干ばつをもたらしているのである。
雨乞い師は、見世物商売ではない。そして、自然が雨を降らせないなら、それを妨げようなどとも思わない。しかし、人の心が招いた干ばつなら、手を差し伸べることもあるということだ。
成功とは何かは、人によってそれぞれ違う考えがあるかもしれない。
なぜ人によって成功の定義が異なるかというと、欲にまみれた人間が多いからだ。成功に色々な定義などありはしない。真の成功はただ1つだ。
しかし、食う腹しか持たぬ愚かな人間に合わせて言うなら、成功とは満足することだとでも言えよう。
だが、これだけは憶えておくべきだ。
成功をもたらすテクニックや秘密など絶対に存在しない。そんなものがあると言う者は、単に金儲けがしたいだけなのだ。その証拠に、テクニックや秘密の方法で成功した者などいない。逆に、テクニックや秘密で悲惨を味わった者は欲に駆られた者の数だけいる。つまり、数え切れない。
ユングの雨乞い師の話の中に、成功に必要な全てがある。
雨乞い師になれれば無敵であり、幸福でいられる。
抽象的に言うなら、そのために思い出すべきことは、ヨブ記にある「神と和らぎ平和でいなさい。そうすれば幸福になる」だけだ。
だが、こんな抽象的な言い方をするから宗教は嫌われるのだ。宗教者は世間知らずなので、こんな言い方しか出来ないのだろうか?
ユングのお話に出てくる雨乞い師に、誰かが雨を降らせる秘訣を聞いた。雨乞い師は当然「無し」と言った。
では、どうやって雨を降らせるのかと聞くと、雨乞い師は「何もしない」と言った。
ただ、敢えて言えば、雨乞い師は「神の意思に身を任せた」と言う。この言葉に対して、多少頭の良い学問バカが、またまた難しい抽象論を唱える。
神の意思に身を任せるとは、「何事もほどほどにやる」というだけのことだ。もっと具体的に言うなら、「ほどほどに酒を飲む」ということだ。
酒を飲むと言えば、「飲んで飲まれて飲んで」とばかりに、浴びるほど飲むか、ルドルフ・シュタイナーのように一滴も駄目と言うのが人間だ。至高の英知を持つシュタイナーすら誤ったのだ。だから彼の話は難し過ぎる(無論、本質は優れたものではあるが)。
空海や水野南北のように、1日1合(ほぼコップ1杯)と決めて飲むのが本当に賢い人だ。ただ、それは特に優れた人の場合で、凡人なら2合でも良い。だが、3合飲むなら愚か者だ。
甘いお菓子が好きなら、そこそこに食べれば良いが、みっともなく肥満するなら馬鹿だということだ。
しかし、今の日本は、人々が肥満しようがアル中になろうが、儲かりさえすれば、限度を知らずに飲み食いするよう煽ることが横行している。すなわち、神の意思を無視した国なのである。あらゆる意味で干ばつが起こるのは当然である。さて、これを整えるほどの強力な雨乞い師はいるのだろうか?
イエスは、「ソロモンよりもヨナよりも優れた者がここにいる」と救世主宣言をしたが、空海や南北、あるいは、黒住宗忠を超える救世主が日本にいるだろうか?
もしいるとすれば、彼はイエスがそうであったように、大嘘つきと呼ばれるだろう。あらゆる中傷にまみれ、罪人扱いされるに違いない。逆に言えば、世間に崇拝されるなら、彼はただのペテン師だ。
そして、世間に蔑まれ、罵倒される救世主は現代にもいるのだ。彼は偉大な雨乞い師であり、全ての雨乞い師の主人であり師匠である。
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