天使が「うっかり」して、人間には「絶対に」隠しておかないといけないことを、人間に見られてしまった時、その人間は驚愕の声を上げる。
「なんと!世界とは、人とは、神とは、こんなもので、こんな風になっているのか!」
だが、神様は言うのだ。
「うっかりするのが天使の仕事」
真理は目の前に、無謀なまでに明かされているのに、天使がわざとらしく転んで大声でも上げない限り、人は意識を向けないのだ。天使も楽ではないのである。

ある優れた画家は、その時、眠かったのだろう。目がずっと半分閉じていた。
まつ毛が目にかかり、世界は薄暗くぼやけて見えた。その時、そこかしこに天使がいるのに気付いた。
それでも彼は、あまりそれを気に留めなかった。というより、忘れてしまった。誰もそうだ。天使は普通、「お得意様」じゃない。
その画家が、ある時、重病の少女を見た。青白い顔、痩せこけた腕と肩。彼女に回復の見込みはなく、死を待つだけだった。傍らには涙も嘆きも尽きた母。
画家はふと思い出し、まつ毛の下から少女を見た。すると、少女の顔は、世界への、あらゆる生命に対しての祝福で輝いていた。
画家は、自分の絵に、そっとまつ毛をかぶせて描くようになった。

The Sick Child(病める子)-ムンク作

ある詩人は深い森の中で悪魔を見る。
しかし、彼は好奇心が強かった。悪魔を見る機会なんて滅多にあるものじゃない。
近寄ってみると、木の切り株だった。
だが彼は考える。
「私は切り株を悪魔と思い込んだのか?それとも、悪魔を切り株に変えてしまったのか?」
奇妙はことに、結論は、どちらでも同じことであると彼は確信し、彼は「魔王」という詩を書き、その詩に心酔した楽聖が曲をつけた。
あなただって経験があるはずなのだ。何かとても貴いものを見つけたのに、それがただの石とか木とか、あるいは、壁のシミだったということが。ひょっとしたら、あなたはとてつもなく貴重なものを逃したのかもしれないのだ。

この2つの話は、はじめのが画家のムンク、後のがゲーテだということに気付いた人もいると思うが、おそらく、いや、確実に、正確ではない。何より、私自身がそんな話を知らない。ただ題材を借りただけで、あくまで私の経験ではあるのだけれど、それを裏付ける話が、コリン・ウィルソンの「右脳の冒険」(平河出版社)の第4章「幻視的意識への道」に書かれているのを見て驚いた。ウィルソンは天才ではあるのだが、知識が有り過ぎるのか、あまりに話にまとまりがない。だが、天使は、アインシィタインの前でそうだったように、彼の周りでも転びまくったのだ。天使の努力を買いたい。







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