「目が覚めたら夜だった」と聞いて、学校時代の夏休みを思い出す人もいるだろうし、大人になってからも、なるべくそうありたいと思う人もいるかもしれない。
一方、そんなことは大嫌いで、いつも何か忙しくしていないと気が済まず、家に居てどうしてもやることがなければ、せかせかと掃除をしたり、車を磨いているような人もいる。
ある家庭で、父親が行動派で、休暇ごとに家族での遊びや旅行の計画を立てるし、運動が好きで、自分も毎日ジョギングしているが、少しでも暇があると子供達と運動をはじめる。それどころか、家族で親戚の家に行くのにも野球のバットやボールを車に乗せ、子供達が叔父さんや叔母さん達とのんびりしていたら、不意に真冬でも子供達を外に連れ出してキャッチボールを始める。結果、彼の子供の内、趣向の合わない子は本当に自殺しかけた(未遂に終わった)。のんびりするのが好きなその子は、長年のノイローゼで精神が破綻したのだろう。

最初の「目が覚めたら夜だった」というのは、有名なアニメ「美少女戦士セーラームーン」のドラマCDと言って、音声だけで作ったギャグドラマの中の、セーラームーンこと月野うさぎが言ったことなのだが、彼女の性質を一言で絶妙に表現している。武内直子さんの原作漫画の中で、月野うさぎは自己紹介で、趣味を「寝ることと楽をすること」と言っていたのである。

「好きこそものの上手なれ」と昔からよく言われる。
ただ、この「好き」なことが、何か世間的に言って立派なことであるとか、金儲けになることに限定されるような風潮や傾向がありはしないだろうか?
月野うさぎのように、「寝ること」や「楽をすること」などを入れてくれそうにない雰囲気がある。
しかし、それではいけない。寝ることが好きなら、上手に寝る達人になれる可能性があるし、楽をすることが好きで、それを上手に出来るようになれば幸福であり、人生の目標を達成したことになる。
アインシュタインは、物理学を、趣味で、つまり、単に好きでやってきたと言い、どれほど成果を上げて賞賛されようと、自分を重要人物だとは全く考えていなかった。
楽をすることが趣味で、その道に邁進し精進しても、賞賛はされないし、重要人物と見なされることはないが、自分でも自分を重要人物とは見なさないだろう。

楽をすることは簡単なことではない。大半の人は、わざわざ苦労を背負い込むようなことばかりをしている。
本当に楽をするためには、余計なことを考えないという、人間の徳の中でも最上のものを身に付ける必要がある。
余計な考えとは、貪欲、恐怖、疑い、虚栄など、個人的な欲望に根ざすことである。
実に、楽をする道とは、個人的欲望を持たないことを目指すことであることは間違いない。それは人生をかける目標にするに値する。
徳川家康は、天下取りの秘訣をただ「上を見るな」と言ったが、不要なものを求めない心は天下をももたらす。なぜなら、もし宇宙を身体とする心があるなら、それは不要なものを求めず、自然であることで至高であるからだ。テレビやラジオから発信する微弱な電波が放送局からの同じ周波数の電波と同調するように、同じ性質のものは同調し溶けあい、似てくる。宇宙の心とわずかにでも似ていれば地球の中の一国の天下など、求めるまでもない他愛もないことに違いない。
天下すら取れる心にとって、不安と恐怖のない安らかな人生などお茶の子さいさいであろう。







↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ