家族を幸せにしたければ、主人は家に不必要なお金を入れないことです。大丈夫だと思うなら、全く入れなくてもいいのです。奥さんが働いてやっていけますから。
しかし、それは主人にとって厳しいことかもしれません。普通の家の主人は、給料を持ってくることだけに存在価値がありますが、家にお金を入れないなら、主人に本当の価値がなければなりません。それに比べれば、給料を持って帰る方がよっぽど楽です。
普通の男は、給料を持ってこなければ用無しです。もっとも、給料は持って帰っても、家の中に居場所のない、名前だけの主人は多いと思います。
そして、普段、家にお金を入れない主人が、わずかでもお金を渡すと、奥さんはそれを凄く有り難く思うのです。普通の家の奥さんは、主人が毎月給料を持って帰っても、それが当たり前になっていて、感謝なんてしません。それは実は異常なことです。

ある時、公園で寂しそうにお弁当を食べている背広ネクタイの男を見て、もしかしたら、会社をリストラされたのに、奥さんに言えずに、帰宅時間までうろうろしているのかもしれないと思いました。
実際、そんな人のために、あたかもまだ勤務先があるかのように家族を欺くため、奥さんなどからの電話を勤務先のふりで取り次いでくれるというサービスがありました。今はメールの時代ですから、あまり無いとは思いますが、メールを使えない人もいますので、需要はあるかもしれません。
しかし、もしそんなものがあるとしたら、いったい何のための妻なのかと思います。旦那が苦しい時に支えになってこその妻のはずですからね。

主人が家にお金をほとんど入れなくても、主人が立派であれば、妻子は明るくまっとうな人間でいます。妻子は鍛えられますし、その力は生涯役に立ちます。
逆に、主人が家に潤沢にお金を入れる家の奥さんや子供は駄目な人間になります。一方的に主人に養われていたら、力の付けようがなく、何も出来ずに快楽ばかり求めるようになります。それは非常に不幸なことです。
私の知っているある家では、主人は家にほとんどお金を入れず、若い頃は奥さんの貯金にまで手を出し、会社の退職金なども前借りして使い切っていました。それで主人は遊び歩いている訳です。そして主人は病気になって若くして死にましたが、彼は家族の業を背負ってあげたのだと思います。妻子は健康で立派になりましたから。そして、その主人は家族に慕われていました。
とはいえ、そこまでする必要はありません。おそらく、そんな家では、妻子や夫婦のそれぞれの家族に業と言いますか、隠れた問題があり、その解消のために、そんな苦しい療法が必要だったのかもしれません。言っては悪いですが、その家族も、やはりその周辺にいろいろ問題がありました。
普通は、簡単に言えば、主人があまり稼がなければ良いのです。給料が安いだけで家族は幸せになれます。

最近は、学生の就職が大変だと言われます。就職活動をする大学生が、数十とか数百の応募をして、一件も内定を得られないという話もよくあります。
それは、応募するところを間違っているのです。学生の多くは、企業の安定性や待遇を見て応募します。仕事がしたいのではなく、給料が欲しいのですね。
仕事自体はいくらでもあります。私は、長いニート生活の後、「行けば入れてもらえる」職場に喜んで入りました。そんなところでも、入れてくれるなら有り難く思いました。そう思っていましたから、職場の人はみんな親切にしてくれました。そんな職場には、大卒はまずおらず、中卒や高校中退の人も多かったですが、私は後に大企業や一流大卒ばかりの会社に入ることになりますが、その中卒、高校中退の人達の方がずっと優秀でした。そして、そんな職場での経験が人生の宝となったと思います。
働く場所は、直観で決めれば良いと思います。すると、大抵は、面接に行った1件目に入ることになるのではないかと思います。給料は安くても良いのではなく、安いほど良いのです。そう思っていれば、間違って危ない職場に入ることもないでしょう。
余計なことを言うなら、給料は安くて良いと思っていたら、案外に多く入ってくることもあります。政木和三さんに聞いたことがあります。「私はお金なんてちっとも欲しくないのですが、どういうわけか1億ほど納税することになってしまうのです」。ジョージ・アダムスキーも言います。「私は富を蓄えようと思ったことなどないが、金に困ったこともない」







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