根本的には、漫画やアニメに子供向けという作品は無いし、創るべきでもない。
今、子供向けの、特に、女の子向けのアニメといえば「プリキュアシリーズ」くらいしかないように思う。これらの作品は全て「プリキュア」の名前を冠してはいるが、それぞれは別ものである。
私は、1年目の「ふたりはプリキュア」は面白いと思ったが、同じ登場人物でありながら、2年目の「ふたりはプリキュアMax Heart」は惹かれるものがなく、途中で見なくなったので、結局、どんな話になったのかさっぱり分からない。3年目以降のものも、時たまテレビで見たが、全くつまらない。2年目以降は、かなり徹底して子供向けということを意図して制作しているように思う。
その2年目の「ふたりはプリキュアMax Heart」の映画で、プリキュアという、2人のヒロイン同士が激しく戦う場面があった。これを見た子供が泣き出したことで、多くの母親が制作会社に抗議したと聞く。実は、プリキュアの2人は、敵に心を操られて戦ったのだが、子供達にはそのあたりの事情が分からなかったのだろう。しかし、あの場面は、プリキュア達は、相手を攻撃しながら涙を流すという、実に感激的なものだったのだ。
いずれにしても、子供が気分を害したからと言って苦情を言う親も信じ難い。
少し昔、子供向けで、やはり女の子が主な対象の人気アニメであった「カードキャプターさくら」という作品の映画を劇場に見に行ったことがあった。
劇場には、親に連れられた子供達も沢山いた。ところが、1時間を超えるこの映画の終盤あたり、つまり、クライマックスの頃、子供達の多くがむずかり(機嫌が悪くなること)出し、騒ぐ子まで出てきた。1人が騒ぐと、別の子も騒ぐ。ストーリーが子供には難しくて理解できないし、子供的な面白く楽しい雰囲気ではなく、シリアス(深刻、まじめ、本格的)なものであった。素晴らしい映像技術で迫力はあったのだが、そこに来ている子供達の期待するものではないのだ。
実際に、立ち上がって帰っていく親子も少なからずいた。
子供の「面白くない」という主張が通ってしまう。それで、子供は、「大人は自分を喜ばせる義務がある」「大人は子供のためにいるんだ」という、とんでもない誤解をする。
フロイトによると、幼い子供というのは、万能感を持ち、自分を神様や王様と感じているところがあるというのに、そのような甘やかしをすれば、傲慢な人間になるのは当然かもしれない。
現在は、多くのアニメが深夜放送されている。別に成人アニメでもなければ、暴力的でもなく、倫理的な表現への配慮も十分にされている。登場人物もほとんどが少年少女で、一見、子供向けにすら見える。おかしなことに、子供向けアニメの雰囲気を守っている作品も多いように思う。実際、子供がそれらの作品を見たところで問題がある訳ではない。私は、むしろ、見ると良いと思う。だが、これらを子供が見る時間帯に放送すれば、やはり、モンスターペアレント達の激しい抗議が予想される。
多くの深夜放送アニメと子供向けアニメの違いは、ストーリーや心理的な表現力の違いだ。おそらく、制作者は、特に子供が作品を見た場合の配慮は基本的には考えていない。しかし、大人への配慮があれば、それは子供への配慮でもあると私は思う。大人には良いが子供には悪いというものなど絶対に無い。
ところが、アニメや漫画の扱いに現れてしまっているというだけで、勘違いをしている大人は、子供に対し、この世の醜いものを隠してしまおうとしている。
「美少女戦士セーラームーン」のアニメが、ただ子供を対象に制作していたのは、せいぜいが2年目のシリーズまでで、実際には、本当に子供向けと言えたのは1年目くらいのものと思う。ところが、その1年目の最終あたりで、セーラームーンの仲間の4人のセーラー戦士達が次々に敵に殺されていき(後で無事復活する)、子供達がショックで御飯を食べなくなったということが話題になったことがある。まあ、それは大袈裟に言っただけで、1日絶食したなんて子供もいないと思うし、制作者の方も、そんな話をギャグに使ったくらいだ。
ところで、仲間のセーラー戦士達が殺されながらも、不屈の心で敵の本拠地に単身乗り込み、敵のボスであるクイン・ベリルとの最終決戦に挑んだセーラームーンとクイン・ベリルが交わした会話が印象的だ。
クイン・ベリルはセーラームーンに、「なぜそこまでして、この世界を護ろうとする?お前もいつかは知るだろう。この世が既に醜く穢れていることを」と言うが、それはまるで、親が子を哀れみの心で諭すようですらあった。しかし、クイン・ベリルの圧倒的なパワーに苦境に立たされながらも、セーラームーンは言う。「私はこの世界を信じている。みんなが護ろうとしたこの世界を」と。
ところで、ストーリーは理解できなくても、劇場で熱心に最後まで映画を見ている子供もいたはずだ。
親が熱心に見ているからだ。子供というのは、本来、かなりテレパシックなもので、特に、親の感情には敏感だ。そんな子供は親の感情に同調しているので、そこにいるだけで楽しいのだ。
しかし、現代の多くの子供は、今の普通の親と同様、個人的な自分だけの快楽を優先することを憶えてしまっているので、精神感応の能力を失ってしまっている。
ただ、高貴な精神の力は、子供にだけあるのではなく、人間であれば誰でも持っているし、錆び付いていても、その気になれば開発できる。人類を救う鍵はそこにある。
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今、子供向けの、特に、女の子向けのアニメといえば「プリキュアシリーズ」くらいしかないように思う。これらの作品は全て「プリキュア」の名前を冠してはいるが、それぞれは別ものである。
私は、1年目の「ふたりはプリキュア」は面白いと思ったが、同じ登場人物でありながら、2年目の「ふたりはプリキュアMax Heart」は惹かれるものがなく、途中で見なくなったので、結局、どんな話になったのかさっぱり分からない。3年目以降のものも、時たまテレビで見たが、全くつまらない。2年目以降は、かなり徹底して子供向けということを意図して制作しているように思う。
その2年目の「ふたりはプリキュアMax Heart」の映画で、プリキュアという、2人のヒロイン同士が激しく戦う場面があった。これを見た子供が泣き出したことで、多くの母親が制作会社に抗議したと聞く。実は、プリキュアの2人は、敵に心を操られて戦ったのだが、子供達にはそのあたりの事情が分からなかったのだろう。しかし、あの場面は、プリキュア達は、相手を攻撃しながら涙を流すという、実に感激的なものだったのだ。
いずれにしても、子供が気分を害したからと言って苦情を言う親も信じ難い。
少し昔、子供向けで、やはり女の子が主な対象の人気アニメであった「カードキャプターさくら」という作品の映画を劇場に見に行ったことがあった。
劇場には、親に連れられた子供達も沢山いた。ところが、1時間を超えるこの映画の終盤あたり、つまり、クライマックスの頃、子供達の多くがむずかり(機嫌が悪くなること)出し、騒ぐ子まで出てきた。1人が騒ぐと、別の子も騒ぐ。ストーリーが子供には難しくて理解できないし、子供的な面白く楽しい雰囲気ではなく、シリアス(深刻、まじめ、本格的)なものであった。素晴らしい映像技術で迫力はあったのだが、そこに来ている子供達の期待するものではないのだ。
実際に、立ち上がって帰っていく親子も少なからずいた。
子供の「面白くない」という主張が通ってしまう。それで、子供は、「大人は自分を喜ばせる義務がある」「大人は子供のためにいるんだ」という、とんでもない誤解をする。
フロイトによると、幼い子供というのは、万能感を持ち、自分を神様や王様と感じているところがあるというのに、そのような甘やかしをすれば、傲慢な人間になるのは当然かもしれない。
現在は、多くのアニメが深夜放送されている。別に成人アニメでもなければ、暴力的でもなく、倫理的な表現への配慮も十分にされている。登場人物もほとんどが少年少女で、一見、子供向けにすら見える。おかしなことに、子供向けアニメの雰囲気を守っている作品も多いように思う。実際、子供がそれらの作品を見たところで問題がある訳ではない。私は、むしろ、見ると良いと思う。だが、これらを子供が見る時間帯に放送すれば、やはり、モンスターペアレント達の激しい抗議が予想される。
多くの深夜放送アニメと子供向けアニメの違いは、ストーリーや心理的な表現力の違いだ。おそらく、制作者は、特に子供が作品を見た場合の配慮は基本的には考えていない。しかし、大人への配慮があれば、それは子供への配慮でもあると私は思う。大人には良いが子供には悪いというものなど絶対に無い。
ところが、アニメや漫画の扱いに現れてしまっているというだけで、勘違いをしている大人は、子供に対し、この世の醜いものを隠してしまおうとしている。
「美少女戦士セーラームーン」のアニメが、ただ子供を対象に制作していたのは、せいぜいが2年目のシリーズまでで、実際には、本当に子供向けと言えたのは1年目くらいのものと思う。ところが、その1年目の最終あたりで、セーラームーンの仲間の4人のセーラー戦士達が次々に敵に殺されていき(後で無事復活する)、子供達がショックで御飯を食べなくなったということが話題になったことがある。まあ、それは大袈裟に言っただけで、1日絶食したなんて子供もいないと思うし、制作者の方も、そんな話をギャグに使ったくらいだ。
ところで、仲間のセーラー戦士達が殺されながらも、不屈の心で敵の本拠地に単身乗り込み、敵のボスであるクイン・ベリルとの最終決戦に挑んだセーラームーンとクイン・ベリルが交わした会話が印象的だ。
クイン・ベリルはセーラームーンに、「なぜそこまでして、この世界を護ろうとする?お前もいつかは知るだろう。この世が既に醜く穢れていることを」と言うが、それはまるで、親が子を哀れみの心で諭すようですらあった。しかし、クイン・ベリルの圧倒的なパワーに苦境に立たされながらも、セーラームーンは言う。「私はこの世界を信じている。みんなが護ろうとしたこの世界を」と。
ところで、ストーリーは理解できなくても、劇場で熱心に最後まで映画を見ている子供もいたはずだ。
親が熱心に見ているからだ。子供というのは、本来、かなりテレパシックなもので、特に、親の感情には敏感だ。そんな子供は親の感情に同調しているので、そこにいるだけで楽しいのだ。
しかし、現代の多くの子供は、今の普通の親と同様、個人的な自分だけの快楽を優先することを憶えてしまっているので、精神感応の能力を失ってしまっている。
ただ、高貴な精神の力は、子供にだけあるのではなく、人間であれば誰でも持っているし、錆び付いていても、その気になれば開発できる。人類を救う鍵はそこにある。
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子供向けのアニメといえば「ちっちゃな雪使いシュガー」を思い出します。
深夜枠での放送せいか私の周りではあまり知っているひとがいなくて残念です。
このアニメのエンディングテーマ「Snow flower」も最高の名曲だと思う。なぜなら他の曲と比べてカラオケで歌ったときなんともいえない感動にひたれるから。
毎日がきらめき探しのstatusでした。