優れた心の特性として、公平、平等、誠実、信念、前向きさ、明るさなどが上げられると思う。
ところが、我々は、そのような心が欲しいと思いつつ、なぜかその反対の性質を持ってしまう。
心が弱いからだ。
心には美しい性質は確実にあるのだが、それを表すには強さが必要なのである。

人間にとって、最も重要なのは、実に不屈の心だ。
誰かを憎む心が起こった時、それに負けて憎んでしまうのは、不屈の心が無いからだ。
誘惑に耐えることができるかで人格が分かるが、人格と不屈の心は異なるものではない。

何度かご紹介したが、スティーブ・マックイーンとダスティン・ホフマンが共演した1973年のフランス・アメリカ合作映画「パピヨン」は、胸にパピヨン(フランス語の蝶)の刺青のある囚人パピヨンの不屈の心が凄まじく表現されていた。この映画を見ることには、高額なセミナーに参加したり、名著を読むこと以上の価値がある。
ジョージ・アダムスキーは、目標を達成する秘訣は、目標を変えないことと諦めないことと言ったが、そのためには不屈の心が必要である。

個人的な欲望を捨てることが幸福への秘訣であるが、そのためには不屈の心が必要であると指摘する者が少ない。なぜなら、無欲な者にとって、不屈の心は当たり前のものだからだ。
不屈の心を持たずに、個人的欲望を捨てた者はいない。不屈の心が無いと欲望に負けてしまうからだ。

いかなる出来事も自分の意思であるとする絶対肯定こそが、至高の英知と溶け合い、神に近付く道であるが、不屈の心が無ければ不可能なことだ。
キリスト教では、「アーメン(然り)」と言って、神の思し召しをいかなる時も肯定するが、本当にそうあるには不屈の心が必要なのである。
浄土系仏教では、「南無阿弥陀仏」と言って、宇宙に遍満する無限の光である至高の英知(それを擬人化して阿弥陀如来と呼ぶ)を絶対的に信頼することを誓うが、それは不屈の心を目指しているのである。
荘子は、全て成り行きにまかせて作為するなと言ったが、それは弱い心には叶わない。無為自然であるには不屈の心が絶対に必要である。

不屈の心を養成するトレーニングは日常に溢れている。学校や職場はそのためにある。
だが、楽に力を付けたいなら、食の慎みという優れた方法がある。厳しく食を慎むことで、不屈の心を容易に養える。あまり過激にやる必要はない。ごく当たり前のことをやれば良い。満腹するまで食べて自分を甘やかさなければそれで良いのだ。志あるなら、お菓子の一切はやめるべきだろう。たったそれだけのことで、不屈の心をかなり持つことが出来る。その後でなら、日常の訓練も楽になるだろう。
食の慎みが出来れば、性欲の支配は割に容易い。いつまで経っても食欲や性欲に負けているようでは見込みはない。
とはいえ、食欲や性欲が強敵であることも認めよう。だから、「パピヨン」を見ると良い。ゴキブリすら食べられるまでに餓えながら、友情を守ったパピヨンを見ると良い。(ただ、ゴキブリが食用や薬用に使われていたことは割に多かったようだ)

風は空に、星は天に、輝く光はこの腕に、不屈の心はこの胸に
~「魔法少女リリカルなのは」より~







↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ