批判も多いながら、決して影響力の小さくはない謎めいた人達がいます。例えば、超能力者と言われるユリ・ゲラーや宇宙人とのコンタクティー(接触者)と言われるジョージ・アダムスキーのような人達です。
ただ、間違いなく言えることは、彼らが、本物の超能力者やコンタクティーであるかといった議論に決着が付くなんてことはあり得ないということです。
もしかしたら、ユリ・ゲラーは、超能力パフォーマンス(例えばスプーン曲げ)でトリックを使ったことがあるかもしれませんし、アダムスキーもUFOの工作写真を撮ったかもしれません。しかし、それらの全てが虚偽であるとは誰にも言えないでしょう。
我々も、別に、それらにカタを付ける必要はないですし、付けられるはずもありません。言うなれば、どう考えるかは個人の自由です。
また、それで、子供の教育や社会秩序に害悪があるはずもないと思います。もしあるとすれば、それはきっと別の原因があるのだと思います。
例えば、あるところでは、地球が丸いと思っている人と、地球が平たいと思っている人が混在しているらしいですが、その街はとても平和と聞きます。一方、ほとんど全ての人が地球が丸いと思っている街がひどいところだったりします。特定のことがらについての個人的主義や信念と、平和や秩序は別のものです。そう思わないのは独裁者くらいのものです。
ユリ・ゲラーやアダムスキーと聞くと、「ああ、あのペテン師!」「あいつらは嘘つきだよ」と疑いもないような反応をする人達もいると思います。実は恥ずかしながら私もそうだったのですが、それは単に、「そう聞いたから」以上の理由はありません。
例えば、小沢一郎と聞けば、「不正な政治家」「悪いことをしているに違いない」という反応をしたり、中国ではみんなが反日デモをしていると思っているような人も少なくないと思います。それもただ、マスコミに扇動されただけのことで、自分で何か確かめた訳では決してないでしょう。
そして、我々の信念とか観念の大半はそんなものだと思います。子供の頃に、親とか身近な大人、そして、学校でそう言われたからそう思っているというだけで、そんな習慣が出来ていれば、マスコミや活字や企業のCMも簡単に信じてしまうという訳です。
ところで、私はユリ・ゲラーの著書を読んで感心したことがあります。
彼は一度、カジノで超能力を発揮して、大勝ちし、大金を得たことがあるようです。
ところが、その金を持って車に乗っている時、心に凄まじい動揺が起こり、その金を道路に投げ捨てたと言います。
テレビで彼のサイキック・パフォーマンスを見ても、彼について何も分かりませんし、さして興味も感じませんでしたが、それを見て、いくらか関心を持ちました。
ギャンブルで儲けることと、金融取引で儲けることで、注目すべき共通性があります。それは、実際の生産、販売、サービスを行うことなく利益を得るということです。
ヘンリー・フォードは、自伝「藁のハンドル」で、実際の販売やサービスを行うわずに、金を動かすだけの実体のないビジネスを強く戒めていました。
例えば、投資というものは、本当は、それで儲かるかどうかが重要なのではなく、自分が投資するビジネスに本当に期待し、発展を願っているという理由で行うべきものだと思います。
しかし、いまや、儲かりさえすれば良いと思うことに何の疑いも持っていない投資家や投機家だらけになってしまいました。
お金というものは、物やサービスを得るために、別の物やサービスを直接提供する物々交換が不便なので考え出されたもので、それを得るには、販売やサービスの提供を行うべきものです。
ところが、販売やサービスをせずにお金を得れば歪みが生じ、そういったことが多くなれば、歪みも大きくなり、やがて破綻が起こります。その破綻とは、歪みを正そうとする自然の摂理です。得るべきでないものを得た分は、後で強制的に取られるのです。本来、強制的、つまり、無理矢理ということは望ましくありません。混乱、苦痛、災厄を伴う危険が大きいからです。
しかし、個人だって、サービスの提供なくサービスを受けていれば、歪みが生じます。そしてやはり、その歪みを正すための自然の摂理が必ず働きます。それは、その人の平和や幸福に必要なものを奪うことによってだと思います。例えば、愛情や友情や健康といったものです。投資や投機で儲け続けた人を見ると、例外というものは無いと思います。
私なら、恐ろしくて、販売やサービスの代償でないようなお金を持つ気になりません。ユリ・ゲラーは、そのことを直感的に感じたのだと思います。
ユリ・ゲラーのその話が本当であるとすれば、彼にスプーンを曲げる能力があるかどうかは知りませんが(興味もありません)、優れた直観という超能力はあるということだと思います。
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ただ、間違いなく言えることは、彼らが、本物の超能力者やコンタクティーであるかといった議論に決着が付くなんてことはあり得ないということです。
もしかしたら、ユリ・ゲラーは、超能力パフォーマンス(例えばスプーン曲げ)でトリックを使ったことがあるかもしれませんし、アダムスキーもUFOの工作写真を撮ったかもしれません。しかし、それらの全てが虚偽であるとは誰にも言えないでしょう。
我々も、別に、それらにカタを付ける必要はないですし、付けられるはずもありません。言うなれば、どう考えるかは個人の自由です。
また、それで、子供の教育や社会秩序に害悪があるはずもないと思います。もしあるとすれば、それはきっと別の原因があるのだと思います。
例えば、あるところでは、地球が丸いと思っている人と、地球が平たいと思っている人が混在しているらしいですが、その街はとても平和と聞きます。一方、ほとんど全ての人が地球が丸いと思っている街がひどいところだったりします。特定のことがらについての個人的主義や信念と、平和や秩序は別のものです。そう思わないのは独裁者くらいのものです。
ユリ・ゲラーやアダムスキーと聞くと、「ああ、あのペテン師!」「あいつらは嘘つきだよ」と疑いもないような反応をする人達もいると思います。実は恥ずかしながら私もそうだったのですが、それは単に、「そう聞いたから」以上の理由はありません。
例えば、小沢一郎と聞けば、「不正な政治家」「悪いことをしているに違いない」という反応をしたり、中国ではみんなが反日デモをしていると思っているような人も少なくないと思います。それもただ、マスコミに扇動されただけのことで、自分で何か確かめた訳では決してないでしょう。
そして、我々の信念とか観念の大半はそんなものだと思います。子供の頃に、親とか身近な大人、そして、学校でそう言われたからそう思っているというだけで、そんな習慣が出来ていれば、マスコミや活字や企業のCMも簡単に信じてしまうという訳です。
ところで、私はユリ・ゲラーの著書を読んで感心したことがあります。
彼は一度、カジノで超能力を発揮して、大勝ちし、大金を得たことがあるようです。
ところが、その金を持って車に乗っている時、心に凄まじい動揺が起こり、その金を道路に投げ捨てたと言います。
テレビで彼のサイキック・パフォーマンスを見ても、彼について何も分かりませんし、さして興味も感じませんでしたが、それを見て、いくらか関心を持ちました。
ギャンブルで儲けることと、金融取引で儲けることで、注目すべき共通性があります。それは、実際の生産、販売、サービスを行うことなく利益を得るということです。
ヘンリー・フォードは、自伝「藁のハンドル」で、実際の販売やサービスを行うわずに、金を動かすだけの実体のないビジネスを強く戒めていました。
例えば、投資というものは、本当は、それで儲かるかどうかが重要なのではなく、自分が投資するビジネスに本当に期待し、発展を願っているという理由で行うべきものだと思います。
しかし、いまや、儲かりさえすれば良いと思うことに何の疑いも持っていない投資家や投機家だらけになってしまいました。
お金というものは、物やサービスを得るために、別の物やサービスを直接提供する物々交換が不便なので考え出されたもので、それを得るには、販売やサービスの提供を行うべきものです。
ところが、販売やサービスをせずにお金を得れば歪みが生じ、そういったことが多くなれば、歪みも大きくなり、やがて破綻が起こります。その破綻とは、歪みを正そうとする自然の摂理です。得るべきでないものを得た分は、後で強制的に取られるのです。本来、強制的、つまり、無理矢理ということは望ましくありません。混乱、苦痛、災厄を伴う危険が大きいからです。
しかし、個人だって、サービスの提供なくサービスを受けていれば、歪みが生じます。そしてやはり、その歪みを正すための自然の摂理が必ず働きます。それは、その人の平和や幸福に必要なものを奪うことによってだと思います。例えば、愛情や友情や健康といったものです。投資や投機で儲け続けた人を見ると、例外というものは無いと思います。
私なら、恐ろしくて、販売やサービスの代償でないようなお金を持つ気になりません。ユリ・ゲラーは、そのことを直感的に感じたのだと思います。
ユリ・ゲラーのその話が本当であるとすれば、彼にスプーンを曲げる能力があるかどうかは知りませんが(興味もありません)、優れた直観という超能力はあるということだと思います。
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二個ほど動きだしたと記憶しています。たぶん固まっていた潤滑油が手で温まって動きだしたというところでしょうか。また、マンガ版幻魔大戦の東丈の超能力を手に入れる場面が大好きで、自分にもこんなことが起こらないかな~と、しょっちゅう思っていました。 今はこの憧れというか、この欲望の根っこを終わらせ、理解させてくれる、ある種のショックの再来を待つ日々です…。