本日のテーマは、私には珍しく、エロスの重要性と、お薦めのエロス作品だ。

最近は、成人漫画やPCのアダルトゲームで、それなりに繊細で上手い絵でストレートに、露骨に描かれたものが非常に多くある。特にゲームの方は、後で人気アニメになり、作家やイラストレーターがメジャー(大きな規模のもの)で成功したりと、陰鬱なイメージが以前ほどはなくなった。
しかし、これらを見て、私は何か窒息感というか、吐きそうな空虚感を感じた。

想像上のエロス・・・難しく言うと、抽象表現としてのエロスは、非常に重要なものである。
マスターベーションなんてことが出来る高度な能力を持つのは人間だけだ。猿だってするじゃないかと言う人もいるかもしれないが、オス猿は近くにメス猿がいないとそれが出来ず、人間のとは全く意味が違う。
なぜエロスが重要かというと、人間だけが持つ想像力、抽象化能力を鍛え、磨くからだ。しかし、既に露骨なまでに具体化、具象化した今の成人漫画やアダルトゲームは、それが出来ないばかりか、それをするきっかけさえ抹殺する。つまり、成人漫画やアダルトゲームは、人間を猿化するものなのである。

私がお薦めする、想像力、抽象化能力を磨き、人間の精神の力に触れることが出来、窒息感や空虚感で心を荒れさせることもない(はずの)エロスを紹介しよう。
まずは、芥川龍之介の「地獄変」だ。
天才画家である良秀の15歳の娘が登場する。良秀は天才ではあっても人間性の卑しい変人だが、この一人娘は愛らしい上に優れた精神性を備えた素晴らしい少女だった。小説の方は是非読んでいただきたい。
ところで、この良秀を仲代達矢さんが演じた映画が素晴らしかったが、DVDになっていない。この映画で、良秀の娘が床に引き倒された後、彼女の長い髪だけが写り、それがゆるやかに動くという表現が芸術的なエロスだった。
いわゆる、想像させるエロスである。
この意味で素晴らしいものが、手塚治虫さんの「アラバスター」という作品にある。
ファンも多いと思うが、作家の図子慧(ずし けい)さんが、この作品の文庫版のあとがきを書かれている。そこで、「その後に読んだどんなエロ小説よりも、この作品の1カットの方が煩悩をかきたてられた」と絶賛し、自分を外道な女と卑下していたが、さすが一流の作家である。図子さんが「そうなんです、あのシーンです」と言うそのシーンには、「シーン」(静寂を示す漫画的表現)という描き文字が入っているだけ・・・つまり、具体的には何も描かれていない。ただ、湖の側の森とその真っ黒な陰が描かれているだけだ。わずかに、水に落ちる砂粒が想像力に訴える。そこで行われているはずの、亜美という少女とFBIのロックの間でのことを、図子さんは「透視、いや、想像した」・・・というが、少年誌で読んだということは、図子さんは女子小学生だったのでは・・・。亜美は可憐な少女だから、図子さんも書かれていた通り、さぞショックであっただろう。「きっと、亜美ちゃんは痛かっただろうけど、気持ちよかったよねと考えたものです」とあるが、やはり、ひょっとしたら女子小学生が・・と思うが、まあ良い。(以上は、文庫版「アラバスター」第2巻)

平井和正さんの小説も素晴らしい。平井さんは有名なSF作家で、漫画の「8マン」(絵は桑田次郎さん)や漫画と小説がある「幻魔大戦」(漫画の絵は石森章太郎さん)でも知られるが、平井さんの小説でエロチックな場面のないものはない。そして、その表現は凄い。
1938年(昭和13年)生まれの平井さんが中学生の頃は戦争直後であったが、クラスメイトの女の子が急に学校に来なくなるということがあった。ところが、平井さんが街を歩いていたら、その女の子が化粧をして米兵の腕にぶら下がっている。平井さんは詳しくは書いていなかったが、間違いなく、彼は米兵と少女の間のことを想像し、やり場のない怒りと不条理に苦しむと同時に、どうにも止められないエロチックな想像に襲われたことだろう。昨今のエロ作家とは想像力の鍛え方が違う。
エロスに屈服してもいけないが、滅ぼしてもいけない。
逆に言えば、向き合うべきものであるが、負けてもいけない。
そのギリギリの狭間で、我々は人間としての全体を磨くのである。我々を猿にしかしない、露骨で浅いものに見向きもせず、本物を求めたい。







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