私は、人間にとって年齢というものにさしたる意味はないか、少なくとも、年齢に関して世間で言われているようなことは1つの想像でしかないと思う。

我々が、年齢に関する世間の信念を捨てれば捨てるほど、我々は老化というものと縁遠くなっていくだろう。
仮に、我々よりはるかに進歩した宇宙人がいて、肉体そのものは我々と大差ないとしても、彼らが(地球年齢で)百歳であれば現在の我々の30歳以下にしか見えなかったり、特に進歩していればさらに若く見えるかもしれない。寿命も300年とかそれ以上かもしれない。
人間世界にも、ごく稀にそのような人物がいるという話も聞くが、本当にそんな人がいたとしても、世間は、そのような人の存在が認めず、その人は最初から存在しなかったということになってしまうのだと思う。
フォード自動車創業者のヘンリー・フォードが絶賛し、親しい人達にプレゼントし続けたという、ラルフ・ウォルドー・トラインの著書“In Tune with the Infinite”(最後に2種類の翻訳を御紹介する)の中に、85歳にして25歳以下にしか見えない女性の話がある。彼女の若さの秘訣は楽天性であるとトラインは言う。

エドモンド・ハミルトンのSF小説「キャプテン・フューチャー」は、今よりもずっと未来の話であるが、「この時代(小説の舞台である遠い未来)、50歳は男盛りの絶頂である」と書かれたところがある。これが書かれた1940年(昭和15年)頃は、50歳といえば老人であったし、日本では平均寿命自体が50歳に達していなかった。しかし、現在であれば、50歳で男盛りというのは、別に違和感はない。ハミルトンはSF的空想で書いたのかもしれないが、本当になってしまったのだ。本来であれば、もうすぐそれが70歳くらいになっても良いのであるが、現在の人々は、飽食・美食にとりつかれて老化がむしろ早まってしまっているように感じる。

我々は、年齢に対する世間の信念を超えないといけない。
プロレスのジャイアント馬場さんは、「若い頃は、60歳といったら、すごいジイさんだと思っていたが、いざ自分がなってみたら・・・なんだ、まだまだやれるじゃないか」と言っていた。
彼は23歳くらいの若手の時、修行のためにアメリカに渡った。そこで、フレッド・アトキンスという強豪レスラーがコーチになった。馬場さんは、50歳をとおに超えているはずのアトキンスの体力に驚く。とにかく、全く敵わない。馬場さんが63歳で肝臓癌で亡くなるまで、引退などサラサラ考えなかったのは、アトキンスが意識改革してくれたおかげだったのではないかと私は想像している。

年齢の話ではないが、トーチェ夫妻の著書「トーチェ氏の心の法則」に興味深い話があったのを憶えている。
ある国の話だが、そこでは、脚が折れた人が元気に走り回っている。そこの人々は、脚が折れたら走れないということを知らないからだとトーチェは言う。
我々は、下らない世間の妄信という牢獄の中に閉じ込められている。
私は、「あらゆる栄養を取りながら、毎日3食しっかりと食べないといけない」という世間の妄想を捨て、1日1食で、世間的には超偏食であるが、完全に健康で強靭な身体になった。幼い頃からのアトピー性皮膚炎も、死にそうな発作に襲われたメニエール病も医療と全く関わりを持たずに完全に治った。腕立て伏せを100回以上できるのは特別な人だと思っていたが、その考えを捨て、毎日軽々と150回やっているので、200回以上は出来るはずだ。
世間の考え方を叩き壊すことが天国への道と思う。我々はそれを目指すべきではないだろうか?このブログの目的もそこにある。







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