超常現象という言葉があるが、それが何を意味するかの説明は実に難しい。
サイコロを振り、10回連続で0の目が出るという、非常に珍しいという意味での超常現象(超自然現象。スーパーナチュラル現象)もあれば、人が空中に浮遊するといった、科学的にあり得ないからという超常現象(異常現象。アブノーマル現象)もある。
ところで、珍しいということに関し、統計学では「これは確率的に起こりえない」とされる基準(危険率などと言う)はある。しかし、それを超えたからといって、ただちに超常現象と言えるかは疑問だ。
また、科学的にあり得ないと言っても、科学自体の信憑性の問題もある。実際、科学の常識は案外に変わりやすい。また、起こったとされる現象が、錯覚なのかトリックなのかと疑いだしたら、現実的には決着の付けようはない。

そこで、今回は、「神秘現象」なんて曖昧な言葉を使う。神秘現象の定義は、超常現象の定義より難しいと言うよりは、曖昧な言葉なので定義のしようがない。
例えば、「人を好きになる」ということは、普通と思えば普通だし、神秘現象だと思えば神秘現象だ。
要は、本人が神秘と思うかどうかだけの問題である。
そして、神秘体験(神秘現象の体験を以下、神秘体験と記す)なんて、誰でも、かなりあるはずなのだ。ただ、注意を払わなかったせいで忘れているのだと思う。

世界的な画家の横尾忠則さんは、たびたび宇宙人と逢っているという話を著書に書かれているし、名高い格闘家の前田日明さんは、若手のプロレスラーだった頃、イギリスのホテルで少女の幽霊の声を聞いたことを自伝に書いている。また、横尾忠則さんの対談本では、映画評論家の淀川長治さんも、自分の神秘体験について語っていたと思う。
(これらの本は最後にご紹介する)

他の人の場合も似たようなものかもしれないが、私の場合の神秘体験の特徴は、その時は不思議だとも奇妙だとも思わなかったが、後で考えてみると、非常に不思議だと思われることだ。
私は、小学校4年生の時、大学生だった従兄に、反射式天体望遠鏡を譲ってもらった。
そして、何の手がかりもなく、土星を見ようと思った。夜空に数多く光っている星の中から、適当に選んで望遠鏡を覗くと、それは土星だった。そうやって何度も土星を見たが、発見に苦労した憶えは全くない。まるで私が土星を作ったかのようだった。確かに、土星は明るい星で、見つけるのは難しくはないらしいが、それは、それなりの資料や情報を手がかりにした場合だろう。金星ほど目立つ星でもないし、実際、特に明るい星を選んだ訳でもなかった。
中学2年生の時は、全く同じようにして見つけた木星と土星の観測記録を夏休みの自由研究課題として提出している。それらの惑星の衛星の観測記録を主体としたものだった。

また、私は、猫を集めることができた。2階の私の部屋には、いつも一匹はいたものだ。放浪しているような猫が私のベッドで寝ているのは不衛生かもしれないが、別に気にしなかった。
庭に20匹ほど集めた時は壮観だった。どうやって集めるのかと言うと、ただ、猫が来るといいなと思うだけである。

以前見たテレビドラマの中のある回を思い出し、それをビデオに録画したいと考えるとする。
私は、そんな時は、単に録画リモコンを持ってただ待ったものだ。そうやって、いくつもの希望のドラマの希望の回を録画したが、確率的にはほとんど奇跡と言って全く差し支えないだろう。
ドラマだけでなく、ほとんど再放送などあり得ないような番組も録画したことがある。ほとんど魔法である。

実は、他に、もっと凄いものがいくらでもあるが、このあたりにしておこう。話しても、凄すぎるのか、何の反応も引き出せないものも多いのだ。コロンブスがアメリカ大陸に到着した時、原住民達はコロンブスの船に驚かなかったそうだ。小型ボートしか知らない原住民の人間には、大きなコロンブスの船を船と認識できず、全く見えもしなかったという話もある。案外、我々もUFOに遭遇しても気付かないかもしれない。
最後に、嘘とも本当とも言わないが、こんな話を明かしておく。

休日の午後、誰もいない居間に入ると、ソファに、ブロンドの神秘的なまでに美しい少女が座っていた。年の頃は11歳くらいと思われた。
一瞬、「私は初めて幽霊に出逢ったのだろうか?」と思ったが、恐れは感じなかった。なんといっても、とにかく美しかった。あまりに美しいと、かえって哀れに感じると何かで読んだことがあるが、本当にそうだと思った。
周りの光景はなんだかぼやけて見えるのだが(注意が彼女に集中し過ぎていたのだろうか)、彼女との間にある空気が不思議なほど澄んでいると感じた。それで、彼女の着ている服のひだの1つ1つまで驚くほどくっきりと見えた。
少女は少し目を上げ、少し憂いのあるような表情で、口を動かさずに語りかけてきた。
「あなたは、いつになったら・・・を始めるつもりですか?」
次の瞬間、私は、少女が座っていた近くに座っていた。少女の姿はなかった。
夢のようにも思えたし、実際、人はこういったことを夢と言うのだろう。しかし、夢と現実に違いはないし、言ってみれば、現実以上にリアルだった。







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