結婚式とかお葬式でもない限り、親戚の人達と会う機会がないという人が多いと思います。
私もそうなのですが、私は先週、親戚の男性の結婚式があり、遠方に住んでいる親戚の人達と久し振りに会いました。本当に長い間会っていない人も少なくなかったですし、冷静に考えると、後何回も会うこともない人も多いはずです。

私の親戚は、割合に田舎に住んでいる人が多いせいかもしれませんが、純朴で良い人が多いように感じます。
しかし、会うたびに、みんな馬鹿になっていくことに愕然とします。
年齢の高い人達は、どんどん老け込み、表情も乏しくなりますし、若い人でも、働きアリのようにすっかり規格化されています。
皆、世間を崇拝し、世間の教義を信じ、世間の信念に従って生きています。テレビから与えられる情報を神の言葉のように信じて疑わず、彼らの善悪、優劣の基準は全て、世間に押し付けられたものです。

私は、久し振りに会う人達に、私が2年前から1日1食になり、肉や魚を食べるのをやめ、お菓子などの間食もやめ、心身とも、少なくとも以前に比べると驚異的に健康になって能力が向上したことを話すのを、浅はかにも楽しみにしていたのですが、彼らの反応は決まっています。
「すごいねえ」「しんどくない!?」「食べないと人生、楽しくないでしょう?」「お母さん、食事の作りがいがないねえ」「私ならもたないねえ」「そんなのありえないよ」
これが彼らの決まった反応ですが、それはまさに一応の反応に過ぎず、彼らがさっぱり興味を感じていないことが分かります。そして、多少の意識的な反応としては、世間に染まった度合いの少ないはずの若い人が、テーブルに用意されたお菓子を、これ見よがしに、間抜けな顔で次々にほおばってみせることです。「やっぱり美味しいものは食べないと」と言うわけです。
そして、いつしか、私も、世間並みの会話をし、彼らも機嫌良くなります。
そして、結婚式、披露宴と進み、これまた世間的な演出で笑いと拍手が起こり、涙を誘うわけです。ほんのちょっとの演出の工夫が見られれば、「変わってたねえ」「個性的だったねえ」となる訳です。

だが、彼らは、肥満し、子供が引きこもり、楽しくない仕事をし、健康に問題を抱え、どうにもできない不安と不満の中で毎日を生きているのだということが分かります。
私が小さい時に、いろいろ良くしてくれた人達が、どんどん世間に蝕まれて愚かになっていくのは悲しいことではありますが、それを見て世間の恐ろしさを再認識し、それを叩き壊すことが人として誠実なことであることを確信できることに、彼らの犠牲に対する恩義を感じるのです。



【荘子】
「世俗にあって世俗を超える」というのが荘子の薦めるライフスタルだったかもしれませんが、近代のマスコミ社会、そして、現代の情報化社会では、いっそうの注意と心構えが必要です。
しかし、世間の性質や、それを超えたところにある、老子や荘子が「道」と呼ぶ不滅の存在については、何も変わっていません。この岸陽子訳の荘子は、とても読みやすい私の愛読書です。

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