私は、死ぬことそのものは全く恐くありません。これは本当です。
1970年頃の英国のSFテレビドラマで、「謎の円盤UFO」(原題は“UFO”)というものがあります。これは、「サンダーバード」や「キャプテン・スカーレット」で知られる映像作品プロデューサーのジェリー・アンダーソンが、初めて人形ではなく、俳優を使って制作した作品です。
この作品のあるお話で、危機的な状況の中、30代の若き大佐(フォスター)が言います。
「昔は死など恐れなかった。しかし、今は恐い」
すると、彼と強い信頼関係にある40代の司令官(ストレイカー)が言います。
「歳を取ったんだ。歳を取ると、人生の値打ちが解ってくる」
私に、人生の値打ちが分かっているかと言いますと、さっぱりです。
別に、脳解剖学者の養老孟司さんや、仏教学者のひろさちやさんが、人生に意味はないと著作に書かれているのを知っているのとは無関係に、人生に価値などないと思っています。
なるほど、私には死が恐くないわけです。
ただ、自殺なんてことをするのは、人生に価値があると思っている人だと思います。
私なら、わざわざそんなことをしようとは思いません。
食べられない状況になったら、食べなければ良いと思っています。
今は、1日1回の食事が非常に楽しいので食べていますが、食べられなくなったら、食べないことでどうなるかじっくり観察したいと思います。それは人生の最後の楽しみかもしれません。
苫米地英人さんが、著作の中で、金がなくても今の世の中、食べることに不都合はないといったことを書かれていましたが、世の中にはとんでもなく要領の悪い人間もいます。そして、私がそんな人間です。
人生に価値が無いというのは、この世に価値がないということです。
ただ、社会とか世間としてのこの世に価値はないと思いますが、世界という存在そのものの価値は疑っていません。
「20世紀最大の詩人」と言われたノーベル賞作家W.B.イェイツの未完の自伝的小説「まだらの鳥」で、イェイツの投影である主人公の少年マイケルは、乞食の老人に、ほとんど食べずにいれば、神秘の存在と出逢えると言われ、それを信じてほとんど食事をしなくなります。そして、ある日、遂に神秘的に美しい聖母と出逢います。
あのイェイツが書いたことですから、単なる空想とも思えず、少なくとも空想ではなく想像であると思います。アメリカ最高の思想家ラルフ・ウォルドー・エマーソンも、空想と想像の違いをエッセイ集の中で力説していました。
それは、幻覚だったのかもしれませんが、幻覚とは一般に考えられているほど捨てたものではありません。
アンデルセンは、「マッチ売りの少女」で、少女が最後に美しいものを見たことを、なぜか強く訴えていました。
彼らは、みんな直感的に、この世の秘密を掴んでいたに違いないと思います。
我々は、食べられる間は生きるべきなんでしょう。
しかし、もし食べられなくなれば、宇宙はその美しい秘密を明かしてくれるのではないでしょうか。私は、「直感的に」そう思われてなりません。
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1970年頃の英国のSFテレビドラマで、「謎の円盤UFO」(原題は“UFO”)というものがあります。これは、「サンダーバード」や「キャプテン・スカーレット」で知られる映像作品プロデューサーのジェリー・アンダーソンが、初めて人形ではなく、俳優を使って制作した作品です。
この作品のあるお話で、危機的な状況の中、30代の若き大佐(フォスター)が言います。
「昔は死など恐れなかった。しかし、今は恐い」
すると、彼と強い信頼関係にある40代の司令官(ストレイカー)が言います。
「歳を取ったんだ。歳を取ると、人生の値打ちが解ってくる」
私に、人生の値打ちが分かっているかと言いますと、さっぱりです。
別に、脳解剖学者の養老孟司さんや、仏教学者のひろさちやさんが、人生に意味はないと著作に書かれているのを知っているのとは無関係に、人生に価値などないと思っています。
なるほど、私には死が恐くないわけです。
ただ、自殺なんてことをするのは、人生に価値があると思っている人だと思います。
私なら、わざわざそんなことをしようとは思いません。
食べられない状況になったら、食べなければ良いと思っています。
今は、1日1回の食事が非常に楽しいので食べていますが、食べられなくなったら、食べないことでどうなるかじっくり観察したいと思います。それは人生の最後の楽しみかもしれません。
苫米地英人さんが、著作の中で、金がなくても今の世の中、食べることに不都合はないといったことを書かれていましたが、世の中にはとんでもなく要領の悪い人間もいます。そして、私がそんな人間です。
人生に価値が無いというのは、この世に価値がないということです。
ただ、社会とか世間としてのこの世に価値はないと思いますが、世界という存在そのものの価値は疑っていません。
「20世紀最大の詩人」と言われたノーベル賞作家W.B.イェイツの未完の自伝的小説「まだらの鳥」で、イェイツの投影である主人公の少年マイケルは、乞食の老人に、ほとんど食べずにいれば、神秘の存在と出逢えると言われ、それを信じてほとんど食事をしなくなります。そして、ある日、遂に神秘的に美しい聖母と出逢います。
あのイェイツが書いたことですから、単なる空想とも思えず、少なくとも空想ではなく想像であると思います。アメリカ最高の思想家ラルフ・ウォルドー・エマーソンも、空想と想像の違いをエッセイ集の中で力説していました。
それは、幻覚だったのかもしれませんが、幻覚とは一般に考えられているほど捨てたものではありません。
アンデルセンは、「マッチ売りの少女」で、少女が最後に美しいものを見たことを、なぜか強く訴えていました。
彼らは、みんな直感的に、この世の秘密を掴んでいたに違いないと思います。
我々は、食べられる間は生きるべきなんでしょう。
しかし、もし食べられなくなれば、宇宙はその美しい秘密を明かしてくれるのではないでしょうか。私は、「直感的に」そう思われてなりません。
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