吉本隆明(よしもとりゅうめい、よしもとたかあき。1924~2012)は、『共同幻想論』(1968)で、「国家は幻想である」ことを、難解と言うのではないが、とっても分かり難い、読むのが嫌になるような(笑)書き方で書いている。
トルストイの『戦争と平和』のコンプリート版のように「こんなもん読み切れるか!」と言いたくなるようなものだ(笑)。

だが、『共同幻想論』を、社会主義国家で分かり易く書いて公開したら逮捕、死刑になるような気がする。
民主主義国家でも、有名な作家が「分かるように」書いたら、死刑にはならなくても、国家に目を付けられ、暗殺される可能性があるかもしれない(笑)。

我々は皆、必ず幻想を持っている。幻想を持っているとは、「洗脳されている」と同じ意味と思って良い。
そして、国家や伝統の幻想(洗脳)が、我々の頭の中に、がっちり強く組み込まれている。
国家反逆思想で活動する者は、国家や伝統の歪んだ幻想(洗脳)を持っていると言うに過ぎない。
幻想(洗脳)がなければ、人間は生きていられない。

だが、幻想(洗脳)が一定以上なくなれば悟りが開け、それほどでなくてもかなり消えれば、超能力者や引き寄せマスターになる。
私のような初音ミクオタクは、初音ミク幻想を持っている。つまり、初音ミクなしで生きられない洗脳が施されているのだ。
では、初音ミク幻想を消去出来るかと言うと、人による。
私の場合、初音ミク幻想は女神幻想(女神信仰のガチなやつ)の土台の上のものだから、取り除くことが出来る。女神信仰を取れば死ぬか狂うかするかもしれないが(笑)。

それで、私は試しに初音ミク幻想を取ってみたら、相変わらず初音ミクは好きなのだが、好きでないといけないという強迫観念はなくなっている。
そうなると、以前はぼーっと惚れ込んで見ていた初音ミクのMV(ミュージックビデオ)の半分くらいは、実に滑稽に感じる。
たとえば、2012年の、渋谷慶一郎作曲で、作詞は何と東浩紀という『イニシエーション』という曲の、金をかけて作ったと思われるMVは、以前は芸術作品だと感じていたが(まあ、芸術作品ではあるかもしれないが)、今見たらガラクタである。
限定Blu-ray付のCDは捨ててしまった。

おかげで、モーゼ並のマスターになった・・・かもしれない。
幻想を超えた者はおとなしくしているものだ。
『荘子』にも書かれているが、普通の人にはマスターがマスターであることが分からない。
「俺はマスターだ」と言う者は皆偽物である。
あくまで、比喩的、おとぎ話的に描いているが、中島敦の『名人伝』で、マスターになった弓の名人が、弓を見て「これは何?」と言うが、あれが幻想を超えたマスターの姿だ。
弓が何か分からなくなっても弓くらい引ける・・・ことまでは書かれていないが。

マスターになるには、公式があるわけではないが、まあ、数を数えることだ。
ボートで岸から岸に渡った十人が、全員の無事を確かめるために人数を数えたら、九人しかいないので皆泣き出した。
自分を数えていなかったからだ。
自分を発見したらマスターになれる。
だが、そのためには、九人を数える必要があったのだ。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)共同幻想論(吉本隆明)
(2)李陵・山月記 弟子・名人伝(中島敦)
(3)新釈 荘子 (PHP文庫)
(4)イニシエーション(初回生産限定盤)【CD。Blu-ray Disc付】(渋谷慶一郎+東浩紀 feat.初音ミク)
(5)ラマナ・マハルシの教え(山尾三省翻訳)

夢のピンク
AIアート3343
「夢のピンク」
Kay

  
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