時間や空間は本当は存在しないという言葉は、もう聞き飽きたと言いたい人もいると思うが、それが事実である可能性がある。
ただ、そう言われてもどうにもならないと感じるだろう。
時間や空間が存在しないとは、少なくも五感で感じる世界は全く存在しないということだ。
見ることも聞くことも出来なかったヘレン・ケラーは「五感は幻想。イデアが真実」と書き残している。
イデアとは何かを一言で言うのは難しいが、まあ「魂の目で見たもの」という意味で、物事の真実の姿だ。
プラトンは、かつては我々はそれが出来たと言っていた。

つまり、我々が感じている世界は幻想である。
この言い方も聞き飽きたかもしれない。
もっと分かるように言えば、世界は夢と同じで、起きている時に見る世界も、眠っている時に見る世界も全く同じで違わないということだ。
では、ここらで妥協する・・・つまり、世界は夢であるとして、凡人が興味があるのは、好きな夢を見ることが出来るかだ。
だが、あなたは夢の中とはいえ、極端に奇妙なものは見たことがないだろう。これは不思議なことだ。
たとえば、夢の中で巨大な岩や大きな象を念力で空中に浮かべたことはないだろう。
また、空を飛んだ夢を見たことがあるとは言っても、その飛び方は、スーパーマンのようにスマートで自由自在なものではなかったはずだ。
我々は、寝ても覚めても、脳に制限を加えられているのである。
その制限を外せば、どんな願いも実現する。
そして、所詮、願いを叶えた時というのは、本当のことを言えば、熱心に願い続けた時なのだ。
私も、子供の時から「あれが欲しいなあ」といつも強く思っていたら、奇跡が起こったように手に入った。
ニサルガダッタ・マハラジも言っていたが、叶わないとしたら熱意がなかっただけだ。つまり、それほどの願いではなかったのだ。
そして、歳を取るほど、願いを叶える力がなくなるわけではないが、熱心さがなくなるのだ。
簡単に言えば、子供は、時によって、恐るべき不動心を発揮するのだ。
そんな時、子供は現実を見ておらず、夢うつつ状態だ。

プラトンの言う、魂の目で見る感覚を思い出せば世界は自由な夢のようだ。
それには、こういうふうにする。
例えば、「富」という言葉を、機械的にではなく、かといって心を込めるのでもなく、言葉の中に深く入り込むように唱えるのだ。すると、魂の目で富を見て、それが現れる。
心の中で、出来るだけ丁寧に、繊細に唱えれば良いのである。
その言葉を神のように敬うのである。
実際に「神」という言葉を敬虔に唱えて見ると良い。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)不動心(尾関宗園)
(2)不動心(マルクス・アウレリウス・アントニヌス)
(3)アイ・アム・ザット ~ニサルガダッタ・マハラジとの対話~
(4)ヒマラヤ聖者の生活探究 第5巻(ベアード.T.スポールディング)

夢の中の光景
AIアート3320
「夢の中の光景」
Kay

  
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