私は、夢の中でよくイエス・キリストに怒られる(笑)。
人間、誰しも欠点はあるが、イエスが嫌ったのは見栄っ張りだ。
たとえば、親の面倒を見ないからと言って、ことさらその人を厳しく怒りはしないが、「これこれこういう理由で私は親の面倒を見る必要がない」と言う者を厳しく非難した。
要するに、「私に責任はない」「私、悪くない」という言い方が大嫌いなのだ。
言い換えれば、「言い訳する者」が嫌いなのだ。
親の世話をしないことの言い訳をしない者は、本当に理由があり、やがて、その理由となることを解決して親の面倒を見るようになる。

私がイエスに怒られるのは、人の悪口を言うことだろう。
まあ、実際に人に言うことはないと思うが、「あいつはロクでもないやつだ」とはよく思う。
こんなことに対し、イエスは、こんな有名な言い方をしている。

自分の目には丸太があるのに、どうして兄弟に向かって、「あなたの目からちりを取らせてください」と言えようか。
(マタイ福音書7章)

つまり、人に対し「ロクでもない」と思う時、自分はもっとロクでもないらしいのである(笑)。
たとえば、私の母親は、ものを買うだけ買って処分しないので、家の中にいらないものが溢れ返っていることを私は非難するが、自分の部屋を片付けたところ、その点でも私の方が酷いことが分かった(笑)。
私が思うロクでもない人全部について同じだろう。
そもそも、自分に同じ欠点が無ければ、他の人の欠点は見えないし、人の欠点にムカつくほど、自分の方が、より大きな同じ欠点を持っているのである。

もしかしたら、特定の政治家や官僚を厳しく非難する保守系政治家、政治活動家、政治アナリストみたいな人のYouTube動画をよく見るかもしれない。
私も以前は楽しんで見ていたが、他者を非難する者は、非難の仕方が厳しい者ほど、その者自身が全く同じ欠点をもっと大きく持っていることを感じ、気持ち悪くて見ていられなくなった。
「いや、小池都知事のような本当のロクデナシはやっつけないといけない」と言う者もいるだろうが、選挙で選ばれたのだから尊重するしかないないし、権力のある者に敵うはずがない。

ある人を物凄く迷惑だと思っている者が、「俺ってそんなに迷惑だったのか?」という発想を持つようになれば人生が変わる。
その発想に至らないと神の助けも得難いと思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)原因と結果の法則(ジェームズ・アレン )
(2)新約聖書 福音書 (岩波文庫)
(3)エスの本 ある女友達への精神分析の手紙(ゲオルク・グロデック)

夏の行方
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