長く唱えられてきた権威と伝統ある真言や呪文には力があるが、それは、緊急事態には即座に力を発揮することはあっても、根本的には長い時間をかけて運命を形作っていくような力で、「良い流れに乗る」ためのものと言うのが適切と思う。

一方、即効的な力が欲しい場合には、神を喜ばせれば神が加担してくれるし、悪魔を喜ばせれば悪魔が加担してくれるというふうにやるのだと思う。
大衆の注目を集めるような物質的に大きなことをする者には、悪魔の力を借りている者が多い。
悪魔の力を借りる手っ取り早い方法は、悪魔教みたいな感じのものを崇拝するグループに入ることである。
それで富や権力を得るが、まあ、後で悲惨な目に遭うだろう。世間の注目を浴びた事業家や政治家は、皆、家庭の中では普通の人よりずっと惨めだし、歳を取ってからは哀れなものだ。

では神を味方にするにはどうすれば良いかと言うと、前にも述べたが、エドモンド・ハミルトンの『キャプテン・フューチャー』シリーズの第1巻である『恐怖の宇宙帝王』にあったように、神が加担してくれるはずの行いをすれば良いのである。
善悪は相対的であるとか、絶対的な善というものはないと言う者もいるが、自らの善、自分が正しいと信じることをやれば良いのである。
ただし、自分の見栄や欲のために、それを善だと思い込みたいことをやる者が多いのである。
間違えないようにやるためには、小さなことから始めると良い。
単に人に優しくすれば良いのである。
人に見せるための親切は大きなお世話だと叩かれるので、良い学びも出来るだろう。
私の場合で言えば、近所のお年寄りや身体が不自由な人達のゴミ出しをしているが、ある家で「リハビリのためにやらせているのだから余計なことをするな」と怒られてしまった。親切の押し売りも良くないわけだ。

『キャプテン・フューチャー』シリーズ(1945~)よりさらに早い1937年から始まった『レンズマン』シリーズというスペースオペラでは、超人ヒーローであるレンズマンのキニスンは、蜘蛛一匹の力を借りた際、その蜘蛛にすら返礼し、義理を返した。
笹沢佐保氏の『木枯し紋次郎』シリーズの紋次郎もそうだが、強運の者と言うのは、受けた恩は必ず返す、受けた恩を忘れないという性質がある。

ただ、こういう考え方は、美しくはあるが堅苦しい面もあると思う。
そこで、こう考えると少し楽だ。
それは、「神が味方なのだから、安心して善いことをする」のである。
まあこれも、見せるための善、見栄のための善行をするとこけてしまうので、なかなか難しい点はある。
つくづく、善いことは隠れてやるものだと思う。
陰徳そのものに価値があると言うより、陰徳でなければ間違え易いのである。
善行というのもおかしいが、ガッツポーズもこっそりやるものである。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)恩を返す話(菊池寛)
(2)そして、バトンは渡された(瀬尾まいこ)
(3)お探し物は図書室まで(青山美智子)
(4)旅屋おかえり(原田マハ)
(5)銀河パトロール隊 レンズマン・シリーズ(E.E.スミス)
(6)恐怖の宇宙帝王/暗黒星大接近! <キャプテン・フューチャー全集1>(エドモンド・ハミルトン)

夏の朝
AIアート3255
「夏の朝」
Kay

  
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