イエス・キリストは、「金持ちが天国に入るのは、ラクダが針の穴を通るより難しい」と言って富を否定しているように思われているかもしれない。
だが、イエスの有名な放蕩息子の教えがある。
大金持ちの息子が、父に大金をもらって家を出たが、金を使い果たし、食べるものにも困るほど貧しくなり、せめて父に使用人として雇ってもらおうと思って家に帰ったら、歓迎されて迎えられ、再び金持ちのボンボンになる。
矛盾しているようだが、そうではなく簡単な話だ。
見える富ではなく、無限の神の富があることを教えているだけだ。放蕩息子は人間であり、大金持ちの父とは神である。
現代的に言うなら、神は、潜在意識とか魂とか宇宙の無限のエネルギーのことだ。

仏教の『法華経』では富は普通に肯定されていて、特に「長者窮子(ちょうじゃぐうじ)」の教えによく現れている。
これは、イエスの放蕩息子の教えと本質的に同じだ。
こちらは、自分が大富豪の息子であることをすっかり忘れてしまった息子のお話だ、
大富豪は、長い時間をかけて、息子に自分が、大富豪であるこの父の息子であることを教える。
そして、息子がそれを受け入れた時、父は息子に全財産を譲る。

イエスの放蕩息子の教えも、釈迦の窮子(困窮して家に帰って来た子)も、実家バンザイ(笑)の教えなのだが、この実家は、人間としての実家ではなく、神や仏の家、潜在意識、魂、真我、宇宙の活力のことである。
誰しも、真の実家は神や仏の家である。

では、どうすれば真の実家である神や仏の家に帰れるのかと言うと、「帰ろう」と思うだけである。
何度かご紹介した、ある大事業家が35歳の時に神に祈った時のお話のように、「これまでの(失敗の)人生は私の責任だが、これからはあなた(神)に責任を取って欲しい」と、やっぱパパは偉いやとシャッポを脱ぐことだ。
ただ、人間、少々苦しまないと、本気でそう思えないものだ。
だから、ちったあ世の中で苦労せいと思うのである。

そして、やはり、イエスの放蕩息子のお話や、釈迦の「長者窮子(ちょうじゃぐうじ)」のお話を読むと良い。
・イエスの放蕩息子の話
新約聖書の福音書『ルカによる福音書』の15章11節
・釈迦の長者窮子の話
法華経の第4章「信解品(しんげほん)」の中にある

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