学校の、たかだか30人とか40人のクラスの中で、様々な人間関係が生まれ、グループが出来、争いが起こる。
クラスの中で完全な秩序が保たれることはないが、完全な無秩序が支配することも、あまりない。
親や教師の介入が、あまり効果的でないことや、かえって混乱をもたらすこともある。
その理由の1つは、介入するとしても、親の願いは自分の子供の平安で、教師の願いはクラスの統制といったように、方向性が違うからだ。

クラスの人数を多くしたら混乱が増すが、学年の枠を外し、年齢の違う子供達を混ぜてしまうと、秩序やモラルが向上する場合が多いことは、そこそこデータがあるらしい。ただ、その場合は別の問題が発生することもある。

つまり、学校なんて、どうやっても、秩序には限界があり、混乱が存在することを許容するしかない。
厳しい校則や監視で秩序を保っているように見える場合は、必ず深い闇が生まれる。
精神分析学者の岸田秀氏の本で見たが、いじめられる子というのは、どこか浮いている、どこか目立つ子供のようだ。
そんな子供は無秩序を生む。
教師は、そんな子供がいじめられるのを見て見ぬふりをする。そうすることで秩序が保たれるからだ。
昔は、いじめには、確かにそんな効用もあったが、今は頭が壊れた子供がクレージーないじめをするので、とんでもない悲惨が起こることがある。
頭が壊れた子供とは、甘やかされるばかりで、無制限に勝手気ままに振る舞うことを許され、嫌なことをさせられずに育ったモンスターだ。そんな子供は、自分が面白いなら何でもやる。

そして、学校とは社会の簡易化されたミニチュアだ。
学校ですら混乱があるのだから、社会の混乱は学校の比ではなく、強制力を持つ警察が度々必要になるし、法律で厳しく制限する必要がある。
それでも、特に現代は、個人の権利が尊重される度合いが強く、それは良い面もあるが、混乱を増長させる場合が多い。
我々は、そんな混乱の社会で生きなければならないのである。
学生がなるべく大手に入りたがるのは、大手の方が秩序があり、安全で安心だからだ。
ただ、それも必ずしもそうではなく、確かに大手は表向きには秩序があって安定しているが、上流の学校と似ていて、そんな場所には、深く恐ろしい闇があるものだ。
つまり、どこにも秩序や安全なんてものはなく、むしろ、秩序と安全を求めて入りたがる上流の学校や大手の会社には悪魔級の存在がいる。
我々は、どこにも安全も秩序もない恐ろしい世の中で生きなければならない。
社会で働くというのは、無秩序と混乱の中で立ち回って戦い生き抜くということだ。
だから、食べていくのが生易しいことであるはずがない。
ひきこもりというのは、そんな危険を察知しているのだから、馬鹿ではない。しかし、あまりに弱いのだ。そんなに弱くては人生を楽しめるはずがない。
とはいえ、皆、弱い。自分だけでは。
人間が群れるのはそのためである。
群れる人間を軽蔑する者もいるが、そんな人間だって、群れを作らないとやっていけない。

で、本当の結論を言えば笑われるかもしれないが、神様仏様を味方につけることだ。
本当かどうか知らないが、お金持ちの家に布袋様の像がある場合が多いというのは、布袋様が必ず味方してくれる神様だからかもしれない。
とりあえず、毎朝布袋様の真言(弥勒菩薩真言)を7回唱えるという手もある。
「オン、マイタレイヤ、ソワカ」「南無弥勒菩薩」などである。
布袋様の面白いお話がある本を下に紹介しておく。松尾芭蕉は布袋様のファンのようだ。

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(1)おくのほそ道(全) ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)
(2)新版 好色五人女 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

守られている乙女
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「守られている乙女」
Kay

  
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