長く続いているからといっても、必ずしも良いものとは限らない。
日本の法律の中には、昭和20年代とか30年代に制定され、今では全く時代遅れで実情に合わないのに、そのまま残っているというものもある。
なぜそんなことになっているのかというと、まあ、面倒だからだろう。
そもそもが、法律というのは変え難いものだ。
一方、法律のように厳格に決められたわけではないが、長く続いているものもある。
念仏なんてのも実際はそうで、7世紀頃に中国で善導が始め、日本では12世紀に法然が広めた。
だが、紀元(ルーツ)となると、2世紀に竜樹(りゅうじゅ/ナーガールジュナ)が『十住毘婆沙論(じゅうじゅうびばしゃろん)』の「易行品(いぎょうぼん)」の中で、仏の名を唱える易しい修行を教え、仏の中でも、特に阿弥陀仏(アミターバ)の名を唱えることを勧めたことと思う。
ただし、いくら天才の竜樹が教えたと言っても、それが善導、親鸞と受け継がれ、現在にも残っているのは、やはり効果があるからだ。
念仏は別に国家が庇護したわけではなく、日本ではむしろ迫害されたようなところもあるのに、効果がなければ、これほどしっかり伝わったりはしないと思う。

念仏に限らず、お経、祝詞、真言なども同じで、長く、そして、しっかりと伝わったものは、やっぱり効果があるから続いているのである。
歴史的にはさほど長くなくても、サムハラ神社のお札や、サムハラという言霊も、どれほど宣伝したとしても、効果がなければ続いたりはしない。しかも、これは実際は、宣伝らしい宣伝はされていないのである。
「アジマリカン」や「トホカミエミタメ」といった真言・言霊もそうである。
「この真言が一番」と言うのは、間違いなく商売上の都合で、宣伝もなく継続しているものは、どれも強力なのである。
幸運に恵まれて大成功したり、それほどの規模ではなくても、豊かである者の多くが、古くから伝わる真言、呪文を唱えている。
何をいくつ唱えても構わないが、1つのものを長く唱え続けることが大切で、やはり選択する必要はあると思う。
大黒天様の真言「オン・マカキャラヤ・ソワカ」を唱えると富貴に恵まれると思うようになった。
なるべく原語に忠実に唱える場合は「オーン、マハーカーラーヤ、スヴァーハー」となる。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)龍樹の仏教 十住毘婆沙論 (ちくま学芸文庫)
(2)選択本願念仏集 法然の教え (角川ソフィア文庫)
(3)密教の聖なる呪文(正木晃)

守護される者
AIアート3204
「守護される者」
Kay

  
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