「今日の深夜2時に家に居た?」
と聞かれたら、
「居たよ。家で寝てた」
みたいに答える場合が多いだろう。
眠っていたのに、なぜ自分が家にいたことが分かるかというと、確かにそれは単なる推測ではあるが、疑いようがない。
しかし、もしかしたら、深夜1時に、眠っているあなたを誰かが家から連れ去り、深夜3時に家に連れ戻したかもしれない。
それなら、深夜2時には、あなたは家にいなかったことになるが、それに気付かなければ、「私は居た」と思うだろう。
だが、眠っている間に移動させられた者が、そのことに気付いていたという話はよくある。

病院で死んだ者が、本人の生前の希望とか、家族の意向で、いったん死体を家に連れ帰ることがよくある。
その場合、死後まもないので、家族は、死んだ人が家にいると感じると思う。
しかし、時が経てば、そうは思わなくなる。
そして、死んだ人はどこにも居なくなるのかというと、『バガヴァッド・ギーター』によれば、そんなことはない。
誰も居なくなることはない。
『千の風になって』という有名な歌のように、お墓の中にいるわけではないが、居なくなるわけではない。
『人魚姫』も死んだ後、風になったが、風とは比喩であり、形のない存在になり、どこにでも居るのである。

あなたは、生まれる前、居なかったのだろうか?
死んだ後と同じように、形のない存在として、あらゆる所にいたのではないだろうか?
それは、肉体を持った人間にはなかなか分からないし、どうやっても、そんなに簡単に分かることではない。
しかし、「私は存在する」という感覚に親しんでいると、眠っていても居ること、死んでも居ること、生まれる前にも居ることが分かるようになると思う。

イツァク・ベントフの本に、こんな実験の話がある。
以前に行った懐かしい場所のことを思い浮かべていると、自分が本当にそこに居ると感じることがある。
その時、薄目を開けて時計を見ると、秒針が止まっている。
自分は、ここに居ると共に、あそこにも居るのだ。
眠っていても居るし、死んでも居るし、生まれてなくても居ることと同じである。
昔のことを想うと、昔のその場所にも居る。
未来でも同じである。
その鍵は「私は存在する」という感覚、即ち「存在の自覚」を持つことである。
存在の自覚が深まると、自分が世界の所有者であり、あらゆるものの所有者であることが分かると思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)世界はどうしたってあなたの意のまま(ネヴィル・ゴダード)
(2)アイ・アム・ザット 私は在る ~ニサルガダッタ・マハラジとの対話~
(3)高次意識界へのガイドツアー(イツァク・ベントフ)
(4)ベントフ氏の超意識の物理学入門(イツァク・ベントフ)
(5)バガヴァッド・ギーター (岩波文庫)

一緒に帰ろ
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「一緒に帰ろ」
Kay

  
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