部屋に入った母親が、そこに居る子供に、「あら、美香ちゃん、居たの?」と言うと、子供は一瞬怪訝な顔をする。
「今も居るよ」と言う顔である。
「居たの?」なんて、過去には居たが、今は居ない、あるいは、過去はどうだったか分からないという感じではないか?
母親の「居たの?」は、「私が把握していない時から居たの?」という意味だ。
だが、これだって、子供にすれば「聞くまでもない当たり前のこと」である。
気安い友達が家に入って来て、「紗英、居る?」と言うと、言われた方は、やはり一瞬戸惑う。
居るのは当たり前だし、友達も、それを分かっていて「居る?」と言ったのだからだ。
まあ、普通は挨拶のようなものとして受け流すだろうが。
だが、誰にも構ってもらえず、声をかけられず、無視され続けると、自分は居ないように扱われていることが分かる。
しかし、「私は居る」のである。それが認められないのは辛いのだ
直接の対話、ボディータッチ、アイコンタクトをしない人達でもLINEで既読無視され続けて嫌な気分になるのは、やはり、自分が居ない者のように扱われているからだ。
洞窟に閉じ込められて救援要請をしても、助けが全く来る気配がない時、肉体的な苦しさや死への不安の奥に、自分が居ない者にされているという最大の苦痛を感じている。
政府が見捨てている貧困層の人達の心が死んでしまうのは、政府も周囲の人々も親族も、自分を居ない者として扱っているからだ。
自分が居るという感覚・・・少し難しく言えば「存在の自覚」ほど重要なものはない。
これがエスカレートすると「俺が」「私が」という過剰な主張になるが、それも実は、居ない者として扱われた記憶が強い者が「私は居る」と悲しく叫んでいるのである。
自分が若く、美しくあることに異常にこだわる者達というのは、自分が若く美しくないと存在を認められないと思うからである。
ネヴィル・ゴダードは「存在の自覚が神である」と言った。
ニサルガダッタ・マハラジは「私は在る」が最上のマントラ(真言)だと言った。
別に、誰にも認めてもらえなくても、「私は存在する」という感覚に意識を向ければ、自分が世界の創造者という至高の存在であることが分かる。まずは、「私は在る」あるいは「私は存在する」と心で唱えると良い。
神であることを楽しめるようになるまで。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)世界はどうしたってあなたの意のまま(ネヴィル・ゴダード)
(2)アイ・アム・ザット 私は在る ~ニサルガダッタ・マハラジとの対話~

AIアート3147
「不屈」
Kay
「今も居るよ」と言う顔である。
「居たの?」なんて、過去には居たが、今は居ない、あるいは、過去はどうだったか分からないという感じではないか?
母親の「居たの?」は、「私が把握していない時から居たの?」という意味だ。
だが、これだって、子供にすれば「聞くまでもない当たり前のこと」である。
気安い友達が家に入って来て、「紗英、居る?」と言うと、言われた方は、やはり一瞬戸惑う。
居るのは当たり前だし、友達も、それを分かっていて「居る?」と言ったのだからだ。
まあ、普通は挨拶のようなものとして受け流すだろうが。
だが、誰にも構ってもらえず、声をかけられず、無視され続けると、自分は居ないように扱われていることが分かる。
しかし、「私は居る」のである。それが認められないのは辛いのだ
直接の対話、ボディータッチ、アイコンタクトをしない人達でもLINEで既読無視され続けて嫌な気分になるのは、やはり、自分が居ない者のように扱われているからだ。
洞窟に閉じ込められて救援要請をしても、助けが全く来る気配がない時、肉体的な苦しさや死への不安の奥に、自分が居ない者にされているという最大の苦痛を感じている。
政府が見捨てている貧困層の人達の心が死んでしまうのは、政府も周囲の人々も親族も、自分を居ない者として扱っているからだ。
自分が居るという感覚・・・少し難しく言えば「存在の自覚」ほど重要なものはない。
これがエスカレートすると「俺が」「私が」という過剰な主張になるが、それも実は、居ない者として扱われた記憶が強い者が「私は居る」と悲しく叫んでいるのである。
自分が若く、美しくあることに異常にこだわる者達というのは、自分が若く美しくないと存在を認められないと思うからである。
ネヴィル・ゴダードは「存在の自覚が神である」と言った。
ニサルガダッタ・マハラジは「私は在る」が最上のマントラ(真言)だと言った。
別に、誰にも認めてもらえなくても、「私は存在する」という感覚に意識を向ければ、自分が世界の創造者という至高の存在であることが分かる。まずは、「私は在る」あるいは「私は存在する」と心で唱えると良い。
神であることを楽しめるようになるまで。
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(1)世界はどうしたってあなたの意のまま(ネヴィル・ゴダード)
(2)アイ・アム・ザット 私は在る ~ニサルガダッタ・マハラジとの対話~

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「不屈」
Kay
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何でもやってみたいお年頃で、私の仕事を手伝おうとしたり邪魔したり(笑)。
全身が「私を見て!私は此処にいるよ!」と叫んでいるかの様です。
何処までも真っ直ぐで、一瞬のためらいも無い。
だから私も全力で、「貴女を見ているよ!貴女は此処にいるよ!」と受け留めます。
幼い頃に存在を100%認めて貰えるかどうかが、その後の人生を左右する。
御飯だけじゃない、愛をいっぱい食べて大きくなるんだものね。
他人の子供は自分の子供、他人の親は自分の親。
自分が受けられなかった愛情を他人に与える事で、もう一度人生を生き直しているのかも知れません。
政府が見放した貧困層の人達、私も将来はその内の一人です。
何時も神様に御祈りしています。
「どうか、彼等に限度を超えた苦しみは与えないで下さい」と。
もうこれ以上、苦しみの存在は要らないです。
全ての者が、「存在」する事を喜べますように。