心理学とオカルトでは「存在給」の考え方が違う。
心理学で言う存在給は、あくまで心的な価値や印象についてのことだ。
だが、オカルトでは存在給の通りに現実のお金が引き寄せられる。
普通の人には、オカルト的存在給は思考的に受け入れられない。
たとえば、「私の存在給は月100万円」と決めれば、何もしなくても勝手に月100万円入ってくる。
このオカルト的存在給はデタラメなのかというと、デタラメどころか、これほど正しいことはない。
もし、余計な想念を持たなければ、存在給は高い(低くはない)。貨幣価値に変換することが必ずしも正しくないが、月給数百万円以下ということはない。
とはいえ、余計な想念があるために、今のような収入しかないわけだ。
いくら「私は月収百万円だ」とアファーメーションをしても、余計な想念を消すことは難しい。
それで、オカルト系YouTubeでは、「存在給を上げる方法」を教える人もいるが、本当にやるべきことは余計な想念を消すことだ。
そして、余計な想念を消す一律的な方法や公式があるわけではない。
それでも、言葉で言えば、荘子が言った通り「なりゆきにまかせる」で、そうすれば余計な想念は消え、存在給は上がる。
荘子の時代の中国では庶民は搾取され、豊かになることはなかったと言われるが、案外にそうでもなかったことが『荘子』を読んでも分かる。
「なりゆきにまかせる」を少し言葉で説明する。
・順其自然(じゅんきしぜん。シュン チー ズー ラン)
事物の成り行きにまかせる、自然のままにする。
人工的な細工や無理な作為を捨て、自然の推移に従うという生き方だ。
・無為自然(むいしぜん。ウー ウェイ ズー ラン)
何もしないで自然のままにする。
人間の作為(無理な努力や計略)をなくし、宇宙や自然の法則に身を委ねることだ。
・逍遥遊(しょうようゆう。シアオ ヤオ ヨウ)
束縛されずに自由に遊び歩くこと。
一切の執着や作為から解放され、悠々と自然と一体になって生きる理想の境地を表す。
日本で言えば『閑吟集(かんぎんしゅう)』に似た雰囲気のことが書かれている。
その中の有名な歌、
「なにせうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ」
が、まさに存在給を高める極意となる。
意味は、
「しょせん人生ははかない夢のようなもの。そんなに真面目で堅苦しく生きて、一体何になるというのか。さあ、思い切って夢中で(狂ったように)楽しもう!」
らしい。
まあ、「ただ遊べ」と思えば良いだろう。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)新釈 荘子 (PHP文庫)
(2)「狂い」のすすめ(ひろさちや)
(3)がんばらない、がんばらない(がんばらない)
(4)天狗芸術論・猫の妙術 全訳注 (講談社学術文庫)

AIアート3136
「ただ居るだけでいい」
Kay
心理学で言う存在給は、あくまで心的な価値や印象についてのことだ。
だが、オカルトでは存在給の通りに現実のお金が引き寄せられる。
普通の人には、オカルト的存在給は思考的に受け入れられない。
たとえば、「私の存在給は月100万円」と決めれば、何もしなくても勝手に月100万円入ってくる。
このオカルト的存在給はデタラメなのかというと、デタラメどころか、これほど正しいことはない。
もし、余計な想念を持たなければ、存在給は高い(低くはない)。貨幣価値に変換することが必ずしも正しくないが、月給数百万円以下ということはない。
とはいえ、余計な想念があるために、今のような収入しかないわけだ。
いくら「私は月収百万円だ」とアファーメーションをしても、余計な想念を消すことは難しい。
それで、オカルト系YouTubeでは、「存在給を上げる方法」を教える人もいるが、本当にやるべきことは余計な想念を消すことだ。
そして、余計な想念を消す一律的な方法や公式があるわけではない。
それでも、言葉で言えば、荘子が言った通り「なりゆきにまかせる」で、そうすれば余計な想念は消え、存在給は上がる。
荘子の時代の中国では庶民は搾取され、豊かになることはなかったと言われるが、案外にそうでもなかったことが『荘子』を読んでも分かる。
「なりゆきにまかせる」を少し言葉で説明する。
・順其自然(じゅんきしぜん。シュン チー ズー ラン)
事物の成り行きにまかせる、自然のままにする。
人工的な細工や無理な作為を捨て、自然の推移に従うという生き方だ。
・無為自然(むいしぜん。ウー ウェイ ズー ラン)
何もしないで自然のままにする。
人間の作為(無理な努力や計略)をなくし、宇宙や自然の法則に身を委ねることだ。
・逍遥遊(しょうようゆう。シアオ ヤオ ヨウ)
束縛されずに自由に遊び歩くこと。
一切の執着や作為から解放され、悠々と自然と一体になって生きる理想の境地を表す。
日本で言えば『閑吟集(かんぎんしゅう)』に似た雰囲気のことが書かれている。
その中の有名な歌、
「なにせうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ」
が、まさに存在給を高める極意となる。
意味は、
「しょせん人生ははかない夢のようなもの。そんなに真面目で堅苦しく生きて、一体何になるというのか。さあ、思い切って夢中で(狂ったように)楽しもう!」
らしい。
まあ、「ただ遊べ」と思えば良いだろう。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)新釈 荘子 (PHP文庫)
(2)「狂い」のすすめ(ひろさちや)
(3)がんばらない、がんばらない(がんばらない)
(4)天狗芸術論・猫の妙術 全訳注 (講談社学術文庫)

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