漫画と小説の違いをご存じだろうか?
絵があるかないかは別として。
漫画は、「非日常からスタートする」のである。
小説は、「非日常を持ち込まない」。
たとえば、漫画の『オバケのQ太郎』は、Q太郎というオバケが登場するという非日常から始まる。
一方、『坊ちゃん』は、いくら変わっているとはいえ、普通の教師の日常的なお話に終始する。
それで、ラノベ(ライトノベル)は、小説のようでいながら、実際は漫画であることが分かる。
ラノベの『涼宮ハルヒ』シリーズは、奇跡の力を持つ涼宮ハルヒの周辺に、宇宙人、未来人、超能力者が現れるという非日常のお話で、漫画と変わらない。
言うまでもなく、小説が漫画よりレベルが高いという話ではない。
一見、超能力的、宇宙人的、異世界的なことがなくてもラノベであるものもある。
たとえば『僕は友達が少ない』は、ただの学園ドラマのようでいて、性格以外は完璧な美少女、大人を超える能力を持つ天才少女、完全に美少女に見える美少年などという非日常の寄せ集めである漫画だ。
では、SF(空想科学小説)はどうだろう?
これは小説なのだ。
たとえば、H.G.ウェルズの『宇宙戦争』では、火星人が地球を侵略に来る。
科学的には火星に生命体、まして、知的生命体は存在しないとされているし、火星人でなくても、宇宙人が地球を侵略しに来る可能性は極めて低いとされ、非日常と思うかもしれない。
しかし、日常の出来事と捉えて読むことが出来る。そして、日常の出来事と捉えなければ読めない。
つまり、かなり突飛でも、日常になる可能性を感じなければ読む意味がないのである。
それでいえば、宇宙人の地球侵略について、全く想像も出来ない人は、そういった小説を読もうとしない、あるいは、漫画として読むだろう。
しかし、SFを漫画として読むと現実的な制約が強過ぎて、全く面白くないものである。
漫画やラノベを小説として読むのは子供か、幼稚な大人である。
そんな人は、社会に適合出来ず、辛い人生を送り勝ちだ。
夢見る少女のような大人である。
そんな人は、小説、あるいは、良いSFを読むべきである。
確かに、吸血鬼や狼男などが登場する怪奇小説もある。
レイ・ブラッドベリのSFにだって、魔物が出て来るものもある。
また、古事記やギリシャ神話のような神話はどうだろうか?
昔の吸血鬼の小説は、日常と捉えて読むことを意図して書かれ、ブラッドベリの怪奇的SFは、日常の中のイメージの世界のお話で、これらは小説なのである。
一方、石ノ森章太郎が「古事記は漫画だ」と言ったように、神話は漫画と思っても良いが、やはりイメージ世界の話と理解出来れば小説であり、小説として読むのが正しく、それでこそ価値がある。
上皇后美智子様が古事記についてスピーチをした内容が、まさにそんな読み方だった。
漫画的なストーリーを借りてはいるが、その奥に高貴なものを見出せることが、神話の読み方なのである。
よって、神話は誰でも正しく読めるものではない。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)宇宙戦争(H.G.ウェルズ)
(2)タイム・マシン ウェルズSF傑作集(H.G.ウェルズ)
(3)10月はたそがれの国(レイ・ブラッドベリ)
(4)ウは宇宙船のウ ブラッドベリ自選傑作集(レイ・ブラッドベリ)
(5)現代語訳 古事記(福永武彦)
(6)ギリシャ神話(山室静)

AIアート3038
「昼下がりの妖精」
Kay
絵があるかないかは別として。
漫画は、「非日常からスタートする」のである。
小説は、「非日常を持ち込まない」。
たとえば、漫画の『オバケのQ太郎』は、Q太郎というオバケが登場するという非日常から始まる。
一方、『坊ちゃん』は、いくら変わっているとはいえ、普通の教師の日常的なお話に終始する。
それで、ラノベ(ライトノベル)は、小説のようでいながら、実際は漫画であることが分かる。
ラノベの『涼宮ハルヒ』シリーズは、奇跡の力を持つ涼宮ハルヒの周辺に、宇宙人、未来人、超能力者が現れるという非日常のお話で、漫画と変わらない。
言うまでもなく、小説が漫画よりレベルが高いという話ではない。
一見、超能力的、宇宙人的、異世界的なことがなくてもラノベであるものもある。
たとえば『僕は友達が少ない』は、ただの学園ドラマのようでいて、性格以外は完璧な美少女、大人を超える能力を持つ天才少女、完全に美少女に見える美少年などという非日常の寄せ集めである漫画だ。
では、SF(空想科学小説)はどうだろう?
これは小説なのだ。
たとえば、H.G.ウェルズの『宇宙戦争』では、火星人が地球を侵略に来る。
科学的には火星に生命体、まして、知的生命体は存在しないとされているし、火星人でなくても、宇宙人が地球を侵略しに来る可能性は極めて低いとされ、非日常と思うかもしれない。
しかし、日常の出来事と捉えて読むことが出来る。そして、日常の出来事と捉えなければ読めない。
つまり、かなり突飛でも、日常になる可能性を感じなければ読む意味がないのである。
それでいえば、宇宙人の地球侵略について、全く想像も出来ない人は、そういった小説を読もうとしない、あるいは、漫画として読むだろう。
しかし、SFを漫画として読むと現実的な制約が強過ぎて、全く面白くないものである。
漫画やラノベを小説として読むのは子供か、幼稚な大人である。
そんな人は、社会に適合出来ず、辛い人生を送り勝ちだ。
夢見る少女のような大人である。
そんな人は、小説、あるいは、良いSFを読むべきである。
確かに、吸血鬼や狼男などが登場する怪奇小説もある。
レイ・ブラッドベリのSFにだって、魔物が出て来るものもある。
また、古事記やギリシャ神話のような神話はどうだろうか?
昔の吸血鬼の小説は、日常と捉えて読むことを意図して書かれ、ブラッドベリの怪奇的SFは、日常の中のイメージの世界のお話で、これらは小説なのである。
一方、石ノ森章太郎が「古事記は漫画だ」と言ったように、神話は漫画と思っても良いが、やはりイメージ世界の話と理解出来れば小説であり、小説として読むのが正しく、それでこそ価値がある。
上皇后美智子様が古事記についてスピーチをした内容が、まさにそんな読み方だった。
漫画的なストーリーを借りてはいるが、その奥に高貴なものを見出せることが、神話の読み方なのである。
よって、神話は誰でも正しく読めるものではない。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)宇宙戦争(H.G.ウェルズ)
(2)タイム・マシン ウェルズSF傑作集(H.G.ウェルズ)
(3)10月はたそがれの国(レイ・ブラッドベリ)
(4)ウは宇宙船のウ ブラッドベリ自選傑作集(レイ・ブラッドベリ)
(5)現代語訳 古事記(福永武彦)
(6)ギリシャ神話(山室静)

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