甘やかされた人間は無力だ。無力な人間は、人間の中のハエのようなものだ。これほど見苦しい存在はない。
では、甘やかすとはどういうことかと言うと、無条件で衣食住を与えることだ。
子供は皆そうじゃないかと言うかもしれないが、子供だってまっとうな条件を満たさなければ「ご飯抜き」「部屋を取り上げる」「家から追い出す」であれば、甘やかしたことにならない。そして、そうでなければならない。

アンデルセンの『マッチ売りの少女』は、「マッチを十分に売る」ことが、少女に与えられた条件で、それを満たさないと、家に入れてもらえず、食事も与えられない。
私は、高校生の時にこのお話を読んで、少女が可哀そうと言うより落ち込んでしまった。自分は甘やかされているのに、7歳の少女は甘やかされておらず、完敗だからだ。
もちろん、少女の条件は厳し過ぎで、本当は、片付けをするとか騒いで人に迷惑をかけないくらいでないといいけない。
しかし、今は、彼女より大きいのに、騒いでも放置される甘やかされた子供が多い。そのままでは、その子はハエ並のままだ。

グリム童話の『ヘンゼルとグレーテル』では、小さなグレーテルは初め、甘やかされて何も出来なかったが、自分が魔女をストーブに押し込んで殺す責任を果たさないと、それによって、頼る必要があるヘンゼルを助けるという責任を果たさないと生きられないことを受入れ、立派になったのだ。

衣食住が与えられないということは、生きていられないということだ。
大人が生きる条件は、働くということだ。家事もレベルによっては働いていると言える。
つまり、働くというのは自分の責任を果たすということだ。
何が自分の責任かを決めるのは自分ではない。
それは社長さんだって同じだ。社長さんは、顧客や国や従業員から責任を負わされている。それはとても重い。
戸塚ヨットスクールでは、自分の責任を果たさないと生きてられないことを分からせることで立派な人間にしようとするもので、高い確率で成功した。

責任を果たさないと・・・やるべきことをしないと死ぬ。
このルールを適用すれば、人間は価値ある存在となる。
例外は一切ない。
王様には王様の責任が、病人には病人の責任が、そして、刑務所の中の囚人にすら生きるための責任がある。
資産を築き、多額の年金を受け取って悠々自適になったのは、その人が長年に渡って責任を果たしてきたからだ。しかし、そうなっても責任がなくなるわけではない。
何等かの形で人々を助けるようなことをしなければ、なぜか生きていられない状態になる。
逆に、豊かになっても十分に責任を果たしていると、もっと大きくなれる。
だが、ニートには責任を果たす力がない。その力を得るには働くしかない。

引き寄せは、責任を果たした上にある。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)自助論(サミュエル・スマイルズ著。竹内均翻訳)
(2)向上心(サミュエル・スマイルズ著。竹内均翻訳)
(3)人生心得帖(松下幸之助)
(4)昔話の深層 ユング心理学とグリム童話(河合隼雄)

空腹な少女
AIアート3034
「空腹な少女」
Kay

  
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