容姿にコンプレックスを持っていない人がいるだろうか?
『悪魔の花嫁』という1975年に連載開始され、現在も休刊扱いで未完のままの漫画作品があるが、その割と初期の作品に、非常に印象深い場面がある。
主人公の美奈子に、彼女の友達がこんなことを言う。
「誰だって容姿にコンプレックスを持っているわ。美奈子はキレイだから分からないかもしれないけど」
何と、美奈子は容姿にコンプレックスを持たない少女だった!
容姿のコンプレックスは、性格にいくらかの悪影響を与えると思われる。
コンプレックスが強いと、性格が歪んでしまう可能性がある。
美奈子の学校に、不幸にも非常に醜い少女がいた。彼女は、そのことで強いコンプレックスを持っていた。そして、それが彼女の言動に悪い影響を与えてしまっていた・・・つまり、性格が悪い人の特徴を強く持ってしまっていたのだ。
だが、美奈子は、彼女が動物を可愛がる様子に、本当は彼女は心が優しい人であることを感じて好意を持ち、放課後、一緒に帰ろうと誘う。
しかし、問題があった。
美奈子は絶世の美少女だ。少々可愛い少女でも、美奈子の隣に立つと色褪せる。ましてや、この醜い少女では・・・
その醜い少女は、美奈子が意図的にやったとは思わなかったが、美奈子と一緒に居ることで、より自分の醜さが目立ってしまったことに気付き、やり場のない怒りを美奈子にぶつけてしまう。

だが、荘子は、我々が絶世の美女と思っていても、動物や魚には全く通用しないと言い、我々が思う美が真の美ではないと言う。
つまり、何が本当に美しいのかは分からないのだ。
こんなギャグ漫画があった。
美人女子大生とブスの女子大生が一緒に海外の野生地を旅行していたら、未開民族に捕らえられ、神への生贄にされることになった。
だが、未開民族の者達は「生贄は美人だけでいい。醜い女を捧げたら神が怒る」と言う。
ところが、未開民族が神への生贄に選んだのは、日本人基準ではブスの女性大生の方だった。
ギャグとはいえ、十分にあり得る話だ。
同じようなテーマの話に、手塚治虫の短編集『ザ・クレーター』の中の『巴の面』という作品がある。
20世紀に美人と言われた顔が、21世紀には時代遅れのモテない顔になり、20世紀が青春時代だった大人には、21世紀の若者にとっての美人が、どうしても美人に思えない。
今は、アメリカ人の好みの顔と日本人の好みの顔は似てきた感じがするのは、日本の漫画やアニメの影響かもしれない。美の基準は変わるのだ。
昔のアメリカ映画の美人が、日本人には美しく感じないことはよくあったと思う。

つまるところ、流行りの顔に生まれることが幸運である。
だが、荘子式アファーメーションを活用し、「嘘だけど、私は絶世の美人」と言えば、もしかしたら顔は変わらないかもしれないが、モテモテになって美人扱いされるようである。
それで、顔もだんだん自分好みに変わってくるかもしれない。

それと、やはり『悪魔の花嫁』の中で、美奈子は、すっかりお婆さんになった元美人女優を見て「綺麗な人ね」と言う。
実際、本当の美人というのはそんなもので、美しさでマウントを取ったりはしないのである。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)悪魔の花嫁 1(原作:池田悦子。漫画:あしべゆうほ)
(2)ザ・クレーター 2(手塚治虫) ※『巴の面』収録
(3)新釈 荘子 (PHP文庫)

美人候補
AIアート3030
「美人候補」
Kay

  
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