ラマナ・マハルシが、「財務長官が責任感を持って万全の仕事をしていても彼は何もしていない」「事業家が大きな事業を成し遂げていても、彼は何もしていない」と言った意味が分からなかった。
しかし、私が最近、ご老人のために奉仕していて分かった。
単に自主的にご老人達の手助けをしているのだが、こんなことをするのは私が善良だからではない。
私は善良には程遠いのだが善良なことをしている。
これが、私は何もしていないということだと分かった。
自分の頭で考えてやっているのではなく、頭に自動的な思考が起こって、それに従ってやっているのである。
言ってみれば、何者かが、私の脳を遠隔操作しているのだと見てだいたい合っているだろう。
ラマナ・マハルシも、荘子も、ラメッシ・バルセカールも、皆、そう言っているのだ。
私の脳を操作しているのが神なのか宇宙人なのかは分からない。
荘子は、単に「宇宙の主宰者(天帝)」のような言い方をしていると思う。
ラマナ・マハルシによれば、その天帝こそが真の自分、つまり、真我なのだろう。
私はある時、自分の身体・・・その時は自分の手を意識し、「これは私ではない」と感じた。自分とは別の何かで、まるで、猫のように、自分とは別の外部の生き物のようだと感じた。悟った人は、自分全体をそう感じるのだろう。
老人への奉仕といった善く見えることも、自分でやっているのではなく、やらされているのだが、悪いことをするのもそうなのだろう。
だが、悟った人が悪いことをすることは無いように感じるので、心が不純だと、神のようなものではなく、悪魔のようなものが脳を乗っ取って操作するのかもしれない。
簡単に言えば、欲望があると悪魔に脳を乗っ取られるようである。
悪魔に脳を乗っ取られると、自分ですら後悔するような愚かなことをするし、健康や自由を損なったり、貧しくなるようなことをする。
一方、神というか高次の存在に身をまかせると、健康になり、若返り、美しくなり、自ずと豊かにもなる。
そのためには欲望を持たないことであり、それは、思考しないということだ。
思考を消すには、いつも言う通り、心で常に「私、私、私」とい言えば良いだろう。
私は昨年7月からプランクを始め、1日も欠かさず継続しているが、これは神のようなものにやらされていると感じる。
一方、チヤホヤされたり、利得を得るためにムキムキマッチョマンになろうとしたり、スポーツ大会で勝とうとするのは、悪魔のようなものに操られている場合が多いと思う。また、受験勉強を熱心にやる者の多くもそうだ。
プランクは、身体が美しく強くなる以外に何も得をしないからね。その上シンドイのだから。
腕振り運動や佐川幸義流四股を毎日数千回やる人は、神に好かれ、悪魔を寄せ付けないだろう。
努力もなく毎日、念仏やマントラを唱える人や、聖書やバガヴァッド・ギーターを読むような者もそうなのだと思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)ラマナ・マハルシの教え(山尾三省翻訳)
(2)新釈 荘子 (PHP文庫)
(3)誰がかまうもんか?!(ラメッシ・バルセカール)
(4)バガヴァッド・ギーター (岩波文庫)
(5)新約聖書 福音書 (岩波文庫)

AIアート2953
「立ち寄った妖精」
Kay
しかし、私が最近、ご老人のために奉仕していて分かった。
単に自主的にご老人達の手助けをしているのだが、こんなことをするのは私が善良だからではない。
私は善良には程遠いのだが善良なことをしている。
これが、私は何もしていないということだと分かった。
自分の頭で考えてやっているのではなく、頭に自動的な思考が起こって、それに従ってやっているのである。
言ってみれば、何者かが、私の脳を遠隔操作しているのだと見てだいたい合っているだろう。
ラマナ・マハルシも、荘子も、ラメッシ・バルセカールも、皆、そう言っているのだ。
私の脳を操作しているのが神なのか宇宙人なのかは分からない。
荘子は、単に「宇宙の主宰者(天帝)」のような言い方をしていると思う。
ラマナ・マハルシによれば、その天帝こそが真の自分、つまり、真我なのだろう。
私はある時、自分の身体・・・その時は自分の手を意識し、「これは私ではない」と感じた。自分とは別の何かで、まるで、猫のように、自分とは別の外部の生き物のようだと感じた。悟った人は、自分全体をそう感じるのだろう。
老人への奉仕といった善く見えることも、自分でやっているのではなく、やらされているのだが、悪いことをするのもそうなのだろう。
だが、悟った人が悪いことをすることは無いように感じるので、心が不純だと、神のようなものではなく、悪魔のようなものが脳を乗っ取って操作するのかもしれない。
簡単に言えば、欲望があると悪魔に脳を乗っ取られるようである。
悪魔に脳を乗っ取られると、自分ですら後悔するような愚かなことをするし、健康や自由を損なったり、貧しくなるようなことをする。
一方、神というか高次の存在に身をまかせると、健康になり、若返り、美しくなり、自ずと豊かにもなる。
そのためには欲望を持たないことであり、それは、思考しないということだ。
思考を消すには、いつも言う通り、心で常に「私、私、私」とい言えば良いだろう。
私は昨年7月からプランクを始め、1日も欠かさず継続しているが、これは神のようなものにやらされていると感じる。
一方、チヤホヤされたり、利得を得るためにムキムキマッチョマンになろうとしたり、スポーツ大会で勝とうとするのは、悪魔のようなものに操られている場合が多いと思う。また、受験勉強を熱心にやる者の多くもそうだ。
プランクは、身体が美しく強くなる以外に何も得をしないからね。その上シンドイのだから。
腕振り運動や佐川幸義流四股を毎日数千回やる人は、神に好かれ、悪魔を寄せ付けないだろう。
努力もなく毎日、念仏やマントラを唱える人や、聖書やバガヴァッド・ギーターを読むような者もそうなのだと思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)ラマナ・マハルシの教え(山尾三省翻訳)
(2)新釈 荘子 (PHP文庫)
(3)誰がかまうもんか?!(ラメッシ・バルセカール)
(4)バガヴァッド・ギーター (岩波文庫)
(5)新約聖書 福音書 (岩波文庫)

AIアート2953
「立ち寄った妖精」
Kay
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正直荷物をそのままにしておいても誰からも咎められなかったですが、何故かそれが出来ず上記のような行動に至りました。これも神か何者かが自分にやらせたのかなと思いました。