私は、毎晩寝る時に、ベッドで横になって「私、私、私」と心で唱えることが楽しみになっている。
すぐに眠れるし、夢に変化が起こった。
こんな夢を見た。
知っているような気がする男が、遺跡のような場所で高さ5メートルほどの岩の壁の前に立ち、その岩の壁の一部を切り出した。
すると、その岩が男の方に倒れてきて地面に落ちたが、男は間一髪無事だった。
ぞっとする場面のはずであるが、男はほっとした様子ではあるが、まるで深刻そうでない。明るい平気な様子である。
それを見て私は、世界とはゲームのように仕組まれたものであるということを明確に感じたのだった。
世界が、自我としての自分の思い通りになるかどうかは分からない。
だが、完全にコントロールしている存在はいるのだ。

『ヒマラヤ聖者の生活探求』の5巻にこんな話がある。
著者のベアード.T.スポールディングが、ロンドンのF.L.ロースンを訪ねた時、彼らがロースンの屋敷の中から通りを見ていたら、岩を積んだ馬車が転倒し、御者(ぎょしゃ。運転手)が下敷きになった。
ロースンは「神の他に何もない。ただ神だけれがある(原文:There is nothing but God)」と唱えた。
すると、岩の中から、御者が平然と出てきた。
ロースンは常に「There is nothing but God」と想い、あるいは、唱えていたのだと思う。
彼は著名な技術者であり、第一次世界大戦では隊長として部隊を率いたが、1人の戦死者も出さなかったという。

世界は3Dゲームのようなもので、自在に操ることが出来る存在がいるが、それはおそらく本当の自分で、それは神のようなものだ。
ある説では、本当の自分は自我という作り物の自分を楽しませるためにゲームを進めるが悪意はない。
アインシュタインだって言っていたものだ。
「神は老獪である。だが悪意はない」

心で「神、神、神」と言っていたら、正確ではないが、人間としての自分と神としての自分の2重意識のような状態になり、「あ、どうでにも好きなように出来るんだ」「神としての自分にまかせておけばいいんだ」と分かるようになる。
するとまあ、心配はなくなる。
他のことはしないで、これをやればいいと思うが、そこは各自の自由で、もっとハラハラドキドキのゲームを楽しみたい方もいるだろうが、あまり苦しいゲームはしない方が良いと思う。まあ、それも人の勝手だが。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)ヒマラヤ聖者の生活探究 第5巻(ベアード.T.スポールディング)
(2)Life and Teaching of the Masters of the Far East, Vol. 5 (English Edition)(Baird T. Spalding )
(3)人生は思うように変えられる(ジョセフ・マーフィー)

無敵
AIアート2915
「無敵」
Kay

  
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