我々は見えていても見ていないし、聴こえていても聴いていない。
催眠術にかかったようにぼうっとしている。
しかし、興味があるものが現れたら、ちゃんと見るし、心地良いと感じる音がしたらちゃんと聴く。
だが、興味があるものが現れず、心地良いと感じる音が聴こえてこない。
それで、眠りこけたような状態になっているのが、ほとんどの人間だ。
ところが、見慣れたものでも、意識して見れば、深みや味わいを感じることが出来る。
これを「新たな目で見る」と言った詩人もいた。
『おもちゃのチャチャチャ』という、作家の野坂昭如が作詞し、作詞家の吉岡治が補作した有名な歌がある。
おもちゃが夜会を開くというのは、野坂昭如の発案らしいが、歌詞の中に「鉛の兵隊」が登場するように、アンデルセンの『鉛の兵隊(しっかり者のスズの兵隊)』との関係がありそうで、野坂昭如も、この童話のことが頭にあったように思う。
おもちゃが夜会を開くという話を聞いた子供は、おもちゃを見て、「こいつ、夜中には動き出すんだ」と思うと、おもちゃに生命を感じる。自分がそうだったことを憶えている人も多いと思う。
それは、絵画や彫刻を見て、想像力が高まって、その絵画や彫刻に生命を感じるのにも似ている。
だが、想像力が起こらなければ、どんな絵画や彫刻も、生命のないただの物体だ。
子供にとっては、世界の全てが生命に満ちている。
しかし、大人になるにつれて、世界は生命を失い、この世は灰色の世界になる。
『アラビアのロレンス』で知られるトーマス・エドワード・ロレンスは、自伝の『知恵の七柱』の中で、疲れた翌朝、目は覚めていても思考が戻ってこない時に見た世界が、圧倒的な意味を持って自分に迫って来るといったことが書いていて、その部分を、コリン・ウィルソンが『右脳の冒険』で、重要なこととして引用している。
ロレンスが見た、「思考のフィルターがかかっていない世界」こそが、子供が感じる世界だ。
自分は今、夢の中にいると見なして、きょろきょろと周囲を見ると、あらゆるものが自分を見ているような生命感を感じると思う。
まるで、本当は生きていると思っておもちゃを見る子供のようだ。
そして、世界は確かに夢なのである。
起きている時の夢は思考のフィルターがかかっていて、嚙み古したガムのように味気ない。
だが、思考のフィルターが外れると、それは驚異の世界だ。
新しい世界を見るには、「周囲のことに気付いていなけれならない」と言う者がいる。
『タフティ・ザ・プリーステス』という本にも、そんなことが書かれている。
ヴァーノン・ハワードの著作は、全てにわたって、そのことを言っている。
だが、それは「思考のフィルターを外す」ということであり、思考を引っ込める、思考を優先させないといったことでもある。
だが、そう言われて分かる人は、特に今の世の中には少ないのではないか?
私は、物心ついた頃でも、ふと思考を消せたので好きなように世界を創り変えることが出来た。
「そうなればいいな」とか「そうなる」と思った後、思考を消すのである。すると、その通りになる。
今は、植物の種子からにょきにょきと芽を出させるようなことは出来ないが(出来るのかもしれないが)、少し時間をかければ出来るのである。
上に書いたことを参考にすれば誰でも出来るが、それよりも、心で常に「私、私、私」と言えば、思考のフィルターが外れ、無双状態になるだろう。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)右脳の冒険(コリン・ウィルソン)
(2)知恵の七柱:アラビアのロレンス回想録(上)(T.E.ロレンス)
(3)アンデルセン作品集1 楠山正雄訳
(4)アメリカひじき・火垂るの墓(野坂昭如)
(5)戦争童話集 完全版(野坂昭如)
(6)スーパーマインド(ヴァーノン・ハワード)

AIアート2893
「ドール」
Kay
催眠術にかかったようにぼうっとしている。
しかし、興味があるものが現れたら、ちゃんと見るし、心地良いと感じる音がしたらちゃんと聴く。
だが、興味があるものが現れず、心地良いと感じる音が聴こえてこない。
それで、眠りこけたような状態になっているのが、ほとんどの人間だ。
ところが、見慣れたものでも、意識して見れば、深みや味わいを感じることが出来る。
これを「新たな目で見る」と言った詩人もいた。
『おもちゃのチャチャチャ』という、作家の野坂昭如が作詞し、作詞家の吉岡治が補作した有名な歌がある。
おもちゃが夜会を開くというのは、野坂昭如の発案らしいが、歌詞の中に「鉛の兵隊」が登場するように、アンデルセンの『鉛の兵隊(しっかり者のスズの兵隊)』との関係がありそうで、野坂昭如も、この童話のことが頭にあったように思う。
おもちゃが夜会を開くという話を聞いた子供は、おもちゃを見て、「こいつ、夜中には動き出すんだ」と思うと、おもちゃに生命を感じる。自分がそうだったことを憶えている人も多いと思う。
それは、絵画や彫刻を見て、想像力が高まって、その絵画や彫刻に生命を感じるのにも似ている。
だが、想像力が起こらなければ、どんな絵画や彫刻も、生命のないただの物体だ。
子供にとっては、世界の全てが生命に満ちている。
しかし、大人になるにつれて、世界は生命を失い、この世は灰色の世界になる。
『アラビアのロレンス』で知られるトーマス・エドワード・ロレンスは、自伝の『知恵の七柱』の中で、疲れた翌朝、目は覚めていても思考が戻ってこない時に見た世界が、圧倒的な意味を持って自分に迫って来るといったことが書いていて、その部分を、コリン・ウィルソンが『右脳の冒険』で、重要なこととして引用している。
ロレンスが見た、「思考のフィルターがかかっていない世界」こそが、子供が感じる世界だ。
自分は今、夢の中にいると見なして、きょろきょろと周囲を見ると、あらゆるものが自分を見ているような生命感を感じると思う。
まるで、本当は生きていると思っておもちゃを見る子供のようだ。
そして、世界は確かに夢なのである。
起きている時の夢は思考のフィルターがかかっていて、嚙み古したガムのように味気ない。
だが、思考のフィルターが外れると、それは驚異の世界だ。
新しい世界を見るには、「周囲のことに気付いていなけれならない」と言う者がいる。
『タフティ・ザ・プリーステス』という本にも、そんなことが書かれている。
ヴァーノン・ハワードの著作は、全てにわたって、そのことを言っている。
だが、それは「思考のフィルターを外す」ということであり、思考を引っ込める、思考を優先させないといったことでもある。
だが、そう言われて分かる人は、特に今の世の中には少ないのではないか?
私は、物心ついた頃でも、ふと思考を消せたので好きなように世界を創り変えることが出来た。
「そうなればいいな」とか「そうなる」と思った後、思考を消すのである。すると、その通りになる。
今は、植物の種子からにょきにょきと芽を出させるようなことは出来ないが(出来るのかもしれないが)、少し時間をかければ出来るのである。
上に書いたことを参考にすれば誰でも出来るが、それよりも、心で常に「私、私、私」と言えば、思考のフィルターが外れ、無双状態になるだろう。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)右脳の冒険(コリン・ウィルソン)
(2)知恵の七柱:アラビアのロレンス回想録(上)(T.E.ロレンス)
(3)アンデルセン作品集1 楠山正雄訳
(4)アメリカひじき・火垂るの墓(野坂昭如)
(5)戦争童話集 完全版(野坂昭如)
(6)スーパーマインド(ヴァーノン・ハワード)

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