プライド(自尊心)という言葉は、ポジティブにもネガティブにも使われるが、ポジティブな意味でも必要とは思えない。
ある時代劇で、プライドの高い武士の男と、その幼い息子が、金がなくて食べることが出来ずに飢えていた。
見かねた町人がその武士の息子に饅頭を与えると、武士は「町人の施しなどいらぬ」と断る。
プライドとは、せいぜいこんなもので、邪魔なものだ。
中学生くらいの男の子達が弱い者いじめをしていた時、その男の子達のクラスメイトの男子が「弱い者いじめをするとは、お前達にはプライドがないのか?」と戒めたが、これはプライドの問題ではなく、道徳とか品性、常識、知性の問題だろう。

しかし、言葉にこだわるのも面倒なので、プライドのネガティブな意味で、捨てるべき妙な気位のようなものを見栄と呼ぼう。
見栄を捨てるほど、精神力は増大し、精神力が増大すれば、あらゆる力が高まる。
引き寄せの力も、見栄によって恐ろしく制限される。
大体において、引き寄せが出来ないのは見栄のためと言って良いほどだ。
高級車を買うためのお金を引き寄せようとしても、単に高級車に乗ることが楽しいのであれば難しいことではないが、見栄のためであれば絶某的なほど難しい。
ちゃんと走りさえすれば、古いボロボロの車に乗っていて平気な者が、簡単に新しい高級車を買うお金を引き寄せる。

人に不快感を与えない限り、いつも同じ安い服を着ていても平気な者が、高い能力や強い精神力を発揮する。
何を着ようかと悩むような者は、あまり大したことは出来ない。
食べる物も同様だ。
イエスが「何を食べるか何を着るかなんかで悩むな」と言ったのは、必要なものは神が与えてくれるから心配するなという意味だと言われ、それもその通りだが、やはり、食べるものや着るものごときで悩むなという意味だと思う。

流行の持ち物や髪型を追いかける者は、他者に運命を握られているのと同じだ。
髪は適当に手入れしていれば、いつの時代でもおかしくないような雰囲気になり、それで満足している者が最も美しいのである。
アイフォンの新型を買わずにいられない者は、良いか悪いかは別として、マインドコントロールされていることは間違いないと思う。
これも、新型のアイフォンを持っていることで自分の価値が高まるような気がするという見栄のようなものだろう。

大物達が、安い中古車に乗り、ファーストフード店で食事をし、いつも同じ安い服を着て、何年も前のスマートフォンを使っていることを知っていれば、見栄を張ってその反対をすることの滑稽さが分かるだろう。
どうせなら、本当に良いことにお金や手間をかけると良いだろう。
なぜ、我々が高い能力を発揮出来なかったり、何となく見下されたり、引き寄せが出来ないのかが分かれば良いと思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)新釈 荘子 (PHP文庫)
(2)ノストラダムスの超法則死活の書(五島勉)
(3)イソップ寓話集 (岩波文庫)
(4)なぜあなたは我慢するのか(ヴァーノン・ハワード)

飾らない
AIアート2360
「飾らない」
Kay

  
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