私は、ご近所の何件かのお年寄りのゴミ出しをしている。
もちろん、燃えるゴミ以外の一切のゴミも含めてで、新聞や段ボールは紐を持って縛りに行く等、出せる形にするまでのことも全部行う。
別に、誰かに頼まれているわけではなく、全く個人的にやっていることだ。
これを親切かと言うと、自分でも客観的には「なかなか出来ないことだなあ」と感心するし、そう言われることもあるのだが、実は、私は親切心は全くなく、「やってあげなければ」という気持ちもない。
かといって、お孫さんが美少女だからというのでもない(笑)。こんなことでモテるはずがないし。
では、どういうことかと言うと、私は見えない何かに動かされているだけである。そのことが、最近は割とはっきり分かるようになってきた。
もちろん、ゴミ出しだけでなく、あらゆる行動、さらには、思考もそうである。
つまり、残念ながら、私が善良だから何か立派なことをやっているのではないのである。
罔両(もうりょう)という言葉を、多くの人は知らないと思う。
罔両とは、影のまわりに出来る、ぼんやりとした薄い影のことだ。そう言われて影を見ると、確かに、そんなものがある。
『荘子』の中に、こんな話がある。
罔両が影に対し、
「お前は何だってそんなデタラメな動きをするんだ。ついていく俺の身にもなれ」
と文句を言うと、影は、
「俺だってご主人様(人間)が動く通りに動いているだけだ。俺が勝手に動いているわけではない」
と言い返すが、影はさらに続ける。
「そのご主人様だって、自分で動いている気でいるようだが、本当は俺達同様、動かされているだけなんだ」
私は、このことが全く腑に落ちたわけである。
全ての人間は自分の思い通りに動き考えているのでは全くない。
心を操られ、つまり、考えているのではなく考えさせられ、それによって動かされているのである。
そんなこと断言して良いのかと言うと、全く善良ではない私が善良なことをやっていることからも明らかと思う。
逆に、悪いことをする場合も同じである。
操られて悪いことをするのであり、善良だから善いことをするのではないのと同様、邪悪だから悪いことをするのではない。
では、悪いことをする者は悪くないのかと言うと、その通りだ。
それなら、悪いことをする者を刑務所に入れる必要はないのかというと、普通、刑務所に入れる流れになるが、そのままでいいし、そのままにしかならない。
「悪いと分かっててやってしまう」と言うことがあるが、それが普通だ。
夢の中では、それが極端に現れることがよくある。
夢の中の方が、世界の自由度が高いせいか、より簡単に操られるようである。
可愛いペットを殺したり、その肉を食べたり、妹をレイプしたりといった夢を見るのは珍しいことではない。
そんな夢を見て悩む者もいるが、やらされただけなのであり、悩んでも仕方がない。
そして、現実も同じなのである。
ラマナ・マハルシに、ある男が相談をした。
隣の奥さんが好みのタイプで、間違いを犯しそうだと言う。笑い話ではなく、深刻なようだ。
すると、マハルシは「そうなっても後悔するな」と答えたらしい。
だが、特にその奥さんの旦那にすれば、「いやいやいや、そこは自制しなくちゃ駄目だろ!」と突っ込みたいところだろうが、運命は止(と)められない(笑)。
あのアーサー王だって、そんな感じで生まれたのだ(笑)。
『歎異抄』の中に、こんな話がある。
親鸞の命令に絶対に従うと言う唯円に対し、親鸞は「人を百人殺せ」と命じる。
しかし唯円は「出来そうにありません」と言う。
それで親鸞は言う。
「やろうと思っても出来ないのだ。お前が善良だから殺せないのではない。殺す運命にないからだ。一方、殺したくなくても殺す運命にあれば殺すしかなくなる。邪悪でなくても、殺す運命にあれば殺すのだ」
誰が我々を操っているのだろう。
親鸞は「因縁」だと言う。これは「カルマ」とも言われる。
仏教や、その母体であるヒンズー教で、そんな考え方をする。
『エイリアン・インタビュー』によれば、我々は決して善良とは言えない宇宙人に操られている。
1970年のイギリスのテレビドラマ『謎の円盤UFO』で、ストレイカーは、宇宙人に操られて自分を殺そうとする親友に言う。
「心は奪われても、魂までは奪われていないはずだ」
だが、その親友は自分を殺そうとすることをやめず、止む無くストレイカーは親友を殺す。
では、操られないためにはどうすれば良いか?
つまり、因縁、あるいは、カルマから脱するにはどうすれば良いか?
宇宙人や悪魔を出し抜くにはどうすれば良いか?
もう何度も書いたが、ラマナ・マハルシが教えたように、「私は誰か?」と心で問い続けることだ。
あるいは、心で「私、私、・・・」と言い続けることだ。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)歎異抄 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)
(2)新釈 荘子 (PHP文庫)
(3)エイリアン・インタビュー(ローレンス・スペンサー)
(4)あるがままに 改訂版 ―ラマナ・マハルシの教え―
(5)新訳 アーサー王物語 (角川文庫)
(6)悪魔を出し抜け! (ナポレオン・ヒル)

AIアート2347
「悪魔の誘惑」
Kay
もちろん、燃えるゴミ以外の一切のゴミも含めてで、新聞や段ボールは紐を持って縛りに行く等、出せる形にするまでのことも全部行う。
別に、誰かに頼まれているわけではなく、全く個人的にやっていることだ。
これを親切かと言うと、自分でも客観的には「なかなか出来ないことだなあ」と感心するし、そう言われることもあるのだが、実は、私は親切心は全くなく、「やってあげなければ」という気持ちもない。
かといって、お孫さんが美少女だからというのでもない(笑)。こんなことでモテるはずがないし。
では、どういうことかと言うと、私は見えない何かに動かされているだけである。そのことが、最近は割とはっきり分かるようになってきた。
もちろん、ゴミ出しだけでなく、あらゆる行動、さらには、思考もそうである。
つまり、残念ながら、私が善良だから何か立派なことをやっているのではないのである。
罔両(もうりょう)という言葉を、多くの人は知らないと思う。
罔両とは、影のまわりに出来る、ぼんやりとした薄い影のことだ。そう言われて影を見ると、確かに、そんなものがある。
『荘子』の中に、こんな話がある。
罔両が影に対し、
「お前は何だってそんなデタラメな動きをするんだ。ついていく俺の身にもなれ」
と文句を言うと、影は、
「俺だってご主人様(人間)が動く通りに動いているだけだ。俺が勝手に動いているわけではない」
と言い返すが、影はさらに続ける。
「そのご主人様だって、自分で動いている気でいるようだが、本当は俺達同様、動かされているだけなんだ」
私は、このことが全く腑に落ちたわけである。
全ての人間は自分の思い通りに動き考えているのでは全くない。
心を操られ、つまり、考えているのではなく考えさせられ、それによって動かされているのである。
そんなこと断言して良いのかと言うと、全く善良ではない私が善良なことをやっていることからも明らかと思う。
逆に、悪いことをする場合も同じである。
操られて悪いことをするのであり、善良だから善いことをするのではないのと同様、邪悪だから悪いことをするのではない。
では、悪いことをする者は悪くないのかと言うと、その通りだ。
それなら、悪いことをする者を刑務所に入れる必要はないのかというと、普通、刑務所に入れる流れになるが、そのままでいいし、そのままにしかならない。
「悪いと分かっててやってしまう」と言うことがあるが、それが普通だ。
夢の中では、それが極端に現れることがよくある。
夢の中の方が、世界の自由度が高いせいか、より簡単に操られるようである。
可愛いペットを殺したり、その肉を食べたり、妹をレイプしたりといった夢を見るのは珍しいことではない。
そんな夢を見て悩む者もいるが、やらされただけなのであり、悩んでも仕方がない。
そして、現実も同じなのである。
ラマナ・マハルシに、ある男が相談をした。
隣の奥さんが好みのタイプで、間違いを犯しそうだと言う。笑い話ではなく、深刻なようだ。
すると、マハルシは「そうなっても後悔するな」と答えたらしい。
だが、特にその奥さんの旦那にすれば、「いやいやいや、そこは自制しなくちゃ駄目だろ!」と突っ込みたいところだろうが、運命は止(と)められない(笑)。
あのアーサー王だって、そんな感じで生まれたのだ(笑)。
『歎異抄』の中に、こんな話がある。
親鸞の命令に絶対に従うと言う唯円に対し、親鸞は「人を百人殺せ」と命じる。
しかし唯円は「出来そうにありません」と言う。
それで親鸞は言う。
「やろうと思っても出来ないのだ。お前が善良だから殺せないのではない。殺す運命にないからだ。一方、殺したくなくても殺す運命にあれば殺すしかなくなる。邪悪でなくても、殺す運命にあれば殺すのだ」
誰が我々を操っているのだろう。
親鸞は「因縁」だと言う。これは「カルマ」とも言われる。
仏教や、その母体であるヒンズー教で、そんな考え方をする。
『エイリアン・インタビュー』によれば、我々は決して善良とは言えない宇宙人に操られている。
1970年のイギリスのテレビドラマ『謎の円盤UFO』で、ストレイカーは、宇宙人に操られて自分を殺そうとする親友に言う。
「心は奪われても、魂までは奪われていないはずだ」
だが、その親友は自分を殺そうとすることをやめず、止む無くストレイカーは親友を殺す。
では、操られないためにはどうすれば良いか?
つまり、因縁、あるいは、カルマから脱するにはどうすれば良いか?
宇宙人や悪魔を出し抜くにはどうすれば良いか?
もう何度も書いたが、ラマナ・マハルシが教えたように、「私は誰か?」と心で問い続けることだ。
あるいは、心で「私、私、・・・」と言い続けることだ。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)歎異抄 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)
(2)新釈 荘子 (PHP文庫)
(3)エイリアン・インタビュー(ローレンス・スペンサー)
(4)あるがままに 改訂版 ―ラマナ・マハルシの教え―
(5)新訳 アーサー王物語 (角川文庫)
(6)悪魔を出し抜け! (ナポレオン・ヒル)

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