最高の賢者達の教えは、いろいろに表現出来るが、つまるところ、一言で言えば「人生の明け渡し」と言えると思う。
人生の明け渡しとは、自分に関する一切を自分でコントロールすることを諦め、神の意思にゆだねることだ。
ラマナ・マハルシは「私は誰か?」と問うことだけが真の自分になる道だと言ったが、実は、人生の明け渡しでも良いと言っていて、ラメッシ・バルセカールは、人生の明け渡しの方を圧倒的に勧めている。
荘子が言う、「思慮分別を捨て、一切をなりゆきにまかせる」と言うのも、宇宙の真の主催者に一切をまかせるということだ。
南無阿弥陀仏という念仏も、一切を阿弥陀仏と言う至高の存在にまかせ切るという意味と言って良いと思う。
江戸末期の神道家、黒住宗忠の教えがまさに、全てを丸ごと神にまかせるというものだ。
ラマナ・マハルシは21歳の時に、こう教えたようだ。これが明け渡しを見事に言い切っていると思う。
どんな重荷を負わされようと、神はそれに耐える。
神の至高の力がすべてのものごとを動かしているというのに、なぜわれわれはその力に身をまかせず、何をどうすべきか、どうすべきではないかと思い悩むのだろうか?
われわれは列車がすべての荷物を運んでくれることを知っている。
列車に乗ってまでも、自分の小さな荷物を頭にのせて苦労する必要がどこにあろう。荷物をおろして安心しなさい。
イエスもまた、いろいろ教えはしただろうが、結局は明け渡しを教えたのではないかと思う。
これに関しては、敬虔なクリスチャンであったある人物がこう神に祈ったことが、彼が聖書の教えをよく理解していた証と思う。
彼は1960年頃に大金とアメリカの高級車と大きな野望を持って日本に来て事業を行ったが、35歳の時には物質的なものは全て失い膨大な借金まで背負っていた。その中でクリスチャンになったのだが、ある時、こう神に祈った。
「これまでの人生の失敗は私の責任です。しかし、これからの人生の責任はあなたに取って欲しい」
翌日には具体的な神の導きがあり、彼は成功者への道を邁進することになる。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)ラマナ・マハルシの教え(ラマナ・マハルシ。山尾三省翻訳)
(2)誰がかまうもんか?!(ラメッシ・バルセカール)
(3)新釈 荘子 (PHP文庫)
(4)歎異抄 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)
(5)黒住宗忠 (人物叢書 新装版)

AIアート2333
「神秘の夜」
Kay
人生の明け渡しとは、自分に関する一切を自分でコントロールすることを諦め、神の意思にゆだねることだ。
ラマナ・マハルシは「私は誰か?」と問うことだけが真の自分になる道だと言ったが、実は、人生の明け渡しでも良いと言っていて、ラメッシ・バルセカールは、人生の明け渡しの方を圧倒的に勧めている。
荘子が言う、「思慮分別を捨て、一切をなりゆきにまかせる」と言うのも、宇宙の真の主催者に一切をまかせるということだ。
南無阿弥陀仏という念仏も、一切を阿弥陀仏と言う至高の存在にまかせ切るという意味と言って良いと思う。
江戸末期の神道家、黒住宗忠の教えがまさに、全てを丸ごと神にまかせるというものだ。
ラマナ・マハルシは21歳の時に、こう教えたようだ。これが明け渡しを見事に言い切っていると思う。
どんな重荷を負わされようと、神はそれに耐える。
神の至高の力がすべてのものごとを動かしているというのに、なぜわれわれはその力に身をまかせず、何をどうすべきか、どうすべきではないかと思い悩むのだろうか?
われわれは列車がすべての荷物を運んでくれることを知っている。
列車に乗ってまでも、自分の小さな荷物を頭にのせて苦労する必要がどこにあろう。荷物をおろして安心しなさい。
イエスもまた、いろいろ教えはしただろうが、結局は明け渡しを教えたのではないかと思う。
これに関しては、敬虔なクリスチャンであったある人物がこう神に祈ったことが、彼が聖書の教えをよく理解していた証と思う。
彼は1960年頃に大金とアメリカの高級車と大きな野望を持って日本に来て事業を行ったが、35歳の時には物質的なものは全て失い膨大な借金まで背負っていた。その中でクリスチャンになったのだが、ある時、こう神に祈った。
「これまでの人生の失敗は私の責任です。しかし、これからの人生の責任はあなたに取って欲しい」
翌日には具体的な神の導きがあり、彼は成功者への道を邁進することになる。
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(1)ラマナ・マハルシの教え(ラマナ・マハルシ。山尾三省翻訳)
(2)誰がかまうもんか?!(ラメッシ・バルセカール)
(3)新釈 荘子 (PHP文庫)
(4)歎異抄 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)
(5)黒住宗忠 (人物叢書 新装版)

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「神秘の夜」
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宇宙に全託とも言えますね
目に見える事象を
自我でコントロールすることなく
観照意識で眺めていることでも
あると思われます