信念を持つことはとても良いことだ。
しかし、自分では信念を持っていると思っていても、それは単に、強い偏見を持っているだけだということが多い。
たとえば、「私の家系の人間は、ただの庶民達より尊い」と思い込んでいても、それを信念とは言わないようなものだ。
信念と言える条件は、大勢の人が認めることではなく、道理があることだ。
ガリレイが言ったとされる「地球は動く」は、当時のほとんどの人が認めなかった。
だが、これも、ガリレイにとって明白な事実だっただけで、道理(正しい筋道)ではない。
彼の信念は「自分に不利益でも正しいことを言うべき」という意思である。

信念を持つとは「僕は正しいんだ」と駄々をこねることではない。
理屈では説明出来ないが、自分は正しいと確信を持つことだ。
「人間は平等であるべきだ」というのは、理屈で完全に説明することはおそらく出来ない。
だが、正しいと確信を持つことは出来る。だから、道理であり、信念と言える。

ラルフ・ウォルドー・エマソンが子供の時、キリスト教会で牧師の説教を聞いていた時、キリスト教の教義に疑問を持ち、牧師に質問に行った。
牧師は「キリスト教の教義を疑うのは罰当たりなことです」と言う。
だがエマソン少年は怯まず、それでも自分には正しいとは思えないと言った。
すると牧師は、「その考えは悪魔から来ているのかもしれない」と言う。
その時、エマソンは何と言ったか。それは、「なら僕は悪魔に従う」だった。
エマソンは、親や学校から教えられた観念でそう言ったのではない。
何と言って良いのか難しいが、魂の声に従ったのである。

信念とは、言葉で言うなら「自分にとって正しいことをする」で、ことわざで言えば「千万人と雖(いえど)も我往かん」である。
「自分にとって正しい」も、簡単に言えば「自分が正しいと思うこと」である。
だが、厳密に言えば、「自分が本当に正しいと思うこと」であり、「正しいと思いこまされたこと」とか「正しいと思いたいこと」ではない。

『キャシャーン Sins』(2008)の第11話「己の使命のもとに」で、ロボットの青年ジンが言う。
「俺は、俺を作った人間に教えられた。人間とロボットにとって正しいことをしろと」
だが、何が正しいかは、ジンの判断に委ねられたということだろう。
そして、ジンの判断は、
「俺は人間もロボットも、共に平和に生きられる世の中を取り戻したい」
で、これがジンの信念である。
ロボットにも魂があるのだろう。この言葉はジンの魂の声である。
全てのロボット達の身体がなぜか急速に錆びて朽ちていくという現象が起こる中で、なぜかジンの身体だけは全く錆びない。
その謎について、ジンの近くにいたロボット達は「ジンには信念があるからだ」と理解する。

今の世の中では、人々の心身が錆びて朽ちていっている。
信念がないからだ。
だが、信念がある者だけは全く錆びず、新品のように新しいのである。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)キャシャーンSins ※Amazon dアニメストア
(2)自己信頼(ラルフ・ウォルドー・エマソン)
(3)天動のシンギュラリティ(1) (大崎ミツル)

愛しのナナ
AIアート2258
「愛しのナナ」
Kay

  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ