ラマナ・マハルシは、真我を実現する(悟りを開く)には「私は誰か?」と問うしかないと言った。
だが、「私は誰か?」を呪文にしてはいけないと言ったらしい。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』3巻で、イエスは「神という言葉を出来るだけ多く使え」と言ったが、「これを公式にしてはいけない」とも言い、『ヒマラヤ聖者の生活探求』5巻で、著者のベアード.T.スポールディングは、「神」を呪文にしてはいけないと言う。

あくまで翻訳で書かれていることで、実際のニュアンスは分からないが、「いったいどうしろってんだ」だろう(笑)。
ただ、マハルシは「私は誰か?」を呪文にしてはいけないと言いつつ「私」とずっと心の中で言えとも言っている。
呪文とマントラ(真言)の違いが曖昧だが、マハルシは「私」は最高のマントラであると言う(これも翻訳だが)。
つまり、「私」を呪文のように唱えて構わない。
これには私も同意だ。
本当にずっと「私」と唱えていたら、驚くべきことが起こるが、それは悪いことではない。

結局、マハルシもスポールディングも、「呪文」を「魔法の呪文(マジック・スペル)」のような意味で言ったのだろう。
スピリチュアルな言い方だが、「神」という言葉には神の波動がある。
これを唱えれば、神の波動を発し、それと同調してくる。
それが分かれば、「神」と唱えることは呪文ではない。
分からなければ、出来るだけ小さな声で、あるいは、頭の中で出来るだけ微かに唱えると良い。
それは呪文ではない。

以上の通りにやればうまくいくだろう。
どうしようもない者の最後の手である。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)ヒマラヤ聖者の生活探究 第3巻(ベアード.T.スポールディング)
(2)ヒマラヤ聖者の生活探究 第5巻(ベアード.T.スポールディング)
(3)あるがままに 改訂版 ―ラマナ・マハルシの教え―
(4)ラマナ・マハルシの教え

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