西尾維新の『物語』シリーズの中の『偽物語』で、主人公、高校3年生の阿良々木暦(あららぎこよみ)の2人の妹(中3と中2)は、自分達ファイアーシスターズは「正義の味方」であることを強烈にアピールしていた。
兄の暦が「お前達のは正義の味方ごっこ」だと言うと、妹達は「ごっこじゃない!俺たちは本物の正義の味方だ」と断言して譲らない。
しかし、暦は、やっぱり彼女達は偽物だと断言する。
で、どちらが正しいのかというと、作品を見るまでもなく暦が正しい。
この妹達は偽物の正義の味方だ。
なぜかというと、自分達が正義の味方だとアピールし、力説するからだ。
本物は、自分がそれであることをアピールしたり、力説したりしない。
一方、うらぶれた中年ながら実力者の貝木泥舟(かいき でいしゅう)は、自分は偽物だと言うが、彼は、偽物の方が本物より価値が高いと言う。
上のファイアーシスターズよりはマシだが、まだまだだ。
本物だとか偽物と言う時点で駄目なのである。
精神病患者には、自分はメシアだと主張する者がいる。
やはり、そんな者は偽物だ。本物のメシアは、自分がメシアだと主張しない。
まあ、「あなたはメシアか?」と聞かれたら、必要なら「そうだ」と言うかもしれない。イエスもそうだった。
しかし、イエスは、わざわざ自分はメシアだとアピールしたりはしない。
日本人が、必要もないのに自分が日本人だとアピールしないのと同じことだ。
同じように、お金持ちは自分がお金持ちであることをアピールしないし、美人は自分が美人であることをアピールしない。
引き寄せでお金持ちになるなら、「私はお金持ちだ」と必死でアファーメーションをしてはならない。それだと、どんどんお金持ちから遠ざかる。
自分が日本人であることを確認するように、自分がお金持ちであることを確認する程度に留めることだ。
すると、自分は既に日本人であると設定されているように、お金持ちであると設定される。
この世界は設定された通りになるのである。
別の言い方をすれば、自分は当たり前に(あるいは普通に)日本人であるように、自分は当たり前に(あるいは普通に)お金持ちであるという感覚になると、自分がお金持ちである世界になるのである。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)偽物語(上)(西尾維新)
(2)化物語(上)(西尾維新)
(3)秘法ヨガ入門(藤本憲幸)
(4)世界はどうしたってあなたの意のまま(ネヴィル・ゴダード)

AIアート2135
「以心伝心」
Kay
兄の暦が「お前達のは正義の味方ごっこ」だと言うと、妹達は「ごっこじゃない!俺たちは本物の正義の味方だ」と断言して譲らない。
しかし、暦は、やっぱり彼女達は偽物だと断言する。
で、どちらが正しいのかというと、作品を見るまでもなく暦が正しい。
この妹達は偽物の正義の味方だ。
なぜかというと、自分達が正義の味方だとアピールし、力説するからだ。
本物は、自分がそれであることをアピールしたり、力説したりしない。
一方、うらぶれた中年ながら実力者の貝木泥舟(かいき でいしゅう)は、自分は偽物だと言うが、彼は、偽物の方が本物より価値が高いと言う。
上のファイアーシスターズよりはマシだが、まだまだだ。
本物だとか偽物と言う時点で駄目なのである。
精神病患者には、自分はメシアだと主張する者がいる。
やはり、そんな者は偽物だ。本物のメシアは、自分がメシアだと主張しない。
まあ、「あなたはメシアか?」と聞かれたら、必要なら「そうだ」と言うかもしれない。イエスもそうだった。
しかし、イエスは、わざわざ自分はメシアだとアピールしたりはしない。
日本人が、必要もないのに自分が日本人だとアピールしないのと同じことだ。
同じように、お金持ちは自分がお金持ちであることをアピールしないし、美人は自分が美人であることをアピールしない。
引き寄せでお金持ちになるなら、「私はお金持ちだ」と必死でアファーメーションをしてはならない。それだと、どんどんお金持ちから遠ざかる。
自分が日本人であることを確認するように、自分がお金持ちであることを確認する程度に留めることだ。
すると、自分は既に日本人であると設定されているように、お金持ちであると設定される。
この世界は設定された通りになるのである。
別の言い方をすれば、自分は当たり前に(あるいは普通に)日本人であるように、自分は当たり前に(あるいは普通に)お金持ちであるという感覚になると、自分がお金持ちである世界になるのである。
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(2)化物語(上)(西尾維新)
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