中畑清さんが若い時、長嶋茂雄監督に、どんな時でも「絶好調」と言えというアドバイスを受けて大選手になり、それを真似た人は当然沢山いるはずだが、うまくいかなかった場合が圧倒的と思う。
落合博満さんがゼネラルマネージャー時代、指導を請いに来た若い選手に5時間、無言で延々素振りをやらせたそうだが、その選手は大成しなかった。しかし、それで大成功する選手もいるはずなのだ。
この違いはいったい何なのだろう?
不遜ながら、私も、いろんな人にこういったことをやらせたが、ほとんどの人は「こいつは駄目だろう」って最初から分かってしまう。
うまくいくかいかないかは、もう、人格とか人間性のレベルの問題としか言えない。
イチローが高校生を指導した後、「ちゃんとやってよ」と言ったという話が印象的だ。
そう言われても、ちゃんと出来る人もいれば、出来ない人もいて、出来ない方が圧倒的だ。
そして、イチローもこの問題を分かっているのだろうが、「ちゃんとやって」としか言えないのだ。
ジョー・ディスペンザ博士が、引き寄せは非常に簡単で、ただ「私はすでに持っている」「それはすでに起こった」と繰り返し唱えればいいだけだと言ったが、すぐに「機械的に唱えても効果はない」と言ったことが、上の話と同じことなのだ。
そして、ディペンザは、そのあたりを何とか分からせようといろいろ言うのだが、分かる人はやはり滅多にいないのだ。
彼は「感情を込めて」と言う。
しかし、感情を込めて「私はすでに1億円持っている」と唱えても、ほとんどの者が駄目なのだ。
斎藤一人さんは、感情なんか込めず千回言えと言ったが、感情を込めずに千回言っても、やっぱりほとんど誰もうまくいかない。
本当に親切な人、公園の掃除を1年365日喜んでやる人、そんな人でないと駄目なのだ。つまり、やはり人格の問題としか言えないようなことだ。
そんな人が「ちゃんと」出来るのだ。
だから、イチローも、ディスペンザも、「ちゃんとした人間になれ」と言うべきなのだ。
当たり前のことが出来る人、常識のある人、人のことを考えることが出来る人・・・そんな人間でないと駄目なのだ。
悪人が成功することもあるかもしれないが、悪人だって、やるべき時はちゃんとやったのだ。それが出来るだけの修行が出来ていたのだ。
そして、ちゃんとしないことが多くなれば、成功した者も転落するし、いったん上がった分、転落のダメージは大きい。
私は江戸時代の武士方式でいこうと思う。
特権階級の武士だって、本当は田植えや稲刈りをすべきだということは分かっていたのだ。
しかし、それが出来ないので、「せめて立派な人間になろう」としたのだ。だから「せめて修行した」のだ。
それが本当の武士道なのだ。
だが、どんなに修行した武士も、本当に親切な人、思いやりのある人には敵わないのだ。
関英男博士は毎日2千回腕振り運動をやり、佐川幸義は毎日数千回四股を踏んだ。
イチローも毎日長時間決めたトレーニングを自主的にやった。
ジョー・ディスペンザ博士は効果はなかったが、膨大な数「私は豊かだ」と唱え、それで「ちゃんとした」やり方が分かった。
四の五の言わず、「私はすでに豊かだ」と徹底的に唱え、うまくいかないことに苦しみながらも唱えれば、やがて「ちゃんと」やれるようになる。
上手いやり方を聞いて、楽に一足飛びにうまくやろうなんて根性が良くないのではないだろうか。
どこかの教団が「修行するぞ」と言わせて信者に修行させても、さっぱりだったのはなぜか?
言うまでもない。修行とは自主的にやるもので、強制されてやるものではない。
つまり、自主的に「進んでやる」ことが大事だ。この辺りは、アメリカの作家マイク・ハーナッキーも言っていたが、気付く人は少なかったのだろう。やっぱり、ほとんど誰もうまくいかなかった。
さあ、自主的にプランクをやろう。そうすれば俺はモテモテだ(笑)。
上記の文章は、私の脳を通して神が書かせたので(プランクのところは除く 笑)、私は何度も読み返そうと思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)あなたという習慣を断つ(ジョー・ディスペンザ)
(2)神のようになる(マイケル・バーグ)
(3)眠りながら成功する(ジョセフ・マーフィー)
(4)世界はどうしたってあなたの意のまま(ネヴィル・ゴダード)
(5)成功の扉(マイク・ハーナッキー)

AIアート2090
「命と太陽」
Kay
落合博満さんがゼネラルマネージャー時代、指導を請いに来た若い選手に5時間、無言で延々素振りをやらせたそうだが、その選手は大成しなかった。しかし、それで大成功する選手もいるはずなのだ。
この違いはいったい何なのだろう?
不遜ながら、私も、いろんな人にこういったことをやらせたが、ほとんどの人は「こいつは駄目だろう」って最初から分かってしまう。
うまくいくかいかないかは、もう、人格とか人間性のレベルの問題としか言えない。
イチローが高校生を指導した後、「ちゃんとやってよ」と言ったという話が印象的だ。
そう言われても、ちゃんと出来る人もいれば、出来ない人もいて、出来ない方が圧倒的だ。
そして、イチローもこの問題を分かっているのだろうが、「ちゃんとやって」としか言えないのだ。
ジョー・ディスペンザ博士が、引き寄せは非常に簡単で、ただ「私はすでに持っている」「それはすでに起こった」と繰り返し唱えればいいだけだと言ったが、すぐに「機械的に唱えても効果はない」と言ったことが、上の話と同じことなのだ。
そして、ディペンザは、そのあたりを何とか分からせようといろいろ言うのだが、分かる人はやはり滅多にいないのだ。
彼は「感情を込めて」と言う。
しかし、感情を込めて「私はすでに1億円持っている」と唱えても、ほとんどの者が駄目なのだ。
斎藤一人さんは、感情なんか込めず千回言えと言ったが、感情を込めずに千回言っても、やっぱりほとんど誰もうまくいかない。
本当に親切な人、公園の掃除を1年365日喜んでやる人、そんな人でないと駄目なのだ。つまり、やはり人格の問題としか言えないようなことだ。
そんな人が「ちゃんと」出来るのだ。
だから、イチローも、ディスペンザも、「ちゃんとした人間になれ」と言うべきなのだ。
当たり前のことが出来る人、常識のある人、人のことを考えることが出来る人・・・そんな人間でないと駄目なのだ。
悪人が成功することもあるかもしれないが、悪人だって、やるべき時はちゃんとやったのだ。それが出来るだけの修行が出来ていたのだ。
そして、ちゃんとしないことが多くなれば、成功した者も転落するし、いったん上がった分、転落のダメージは大きい。
私は江戸時代の武士方式でいこうと思う。
特権階級の武士だって、本当は田植えや稲刈りをすべきだということは分かっていたのだ。
しかし、それが出来ないので、「せめて立派な人間になろう」としたのだ。だから「せめて修行した」のだ。
それが本当の武士道なのだ。
だが、どんなに修行した武士も、本当に親切な人、思いやりのある人には敵わないのだ。
関英男博士は毎日2千回腕振り運動をやり、佐川幸義は毎日数千回四股を踏んだ。
イチローも毎日長時間決めたトレーニングを自主的にやった。
ジョー・ディスペンザ博士は効果はなかったが、膨大な数「私は豊かだ」と唱え、それで「ちゃんとした」やり方が分かった。
四の五の言わず、「私はすでに豊かだ」と徹底的に唱え、うまくいかないことに苦しみながらも唱えれば、やがて「ちゃんと」やれるようになる。
上手いやり方を聞いて、楽に一足飛びにうまくやろうなんて根性が良くないのではないだろうか。
どこかの教団が「修行するぞ」と言わせて信者に修行させても、さっぱりだったのはなぜか?
言うまでもない。修行とは自主的にやるもので、強制されてやるものではない。
つまり、自主的に「進んでやる」ことが大事だ。この辺りは、アメリカの作家マイク・ハーナッキーも言っていたが、気付く人は少なかったのだろう。やっぱり、ほとんど誰もうまくいかなかった。
さあ、自主的にプランクをやろう。そうすれば俺はモテモテだ(笑)。
上記の文章は、私の脳を通して神が書かせたので(プランクのところは除く 笑)、私は何度も読み返そうと思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)あなたという習慣を断つ(ジョー・ディスペンザ)
(2)神のようになる(マイケル・バーグ)
(3)眠りながら成功する(ジョセフ・マーフィー)
(4)世界はどうしたってあなたの意のまま(ネヴィル・ゴダード)
(5)成功の扉(マイク・ハーナッキー)

AIアート2090
「命と太陽」
Kay
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本質やポイントをつかむことが何に対しても重要ですが、誰でも、その前に「現実を対象化」出来ていないことが多いと思います。
面倒なことを避けたいとか、他の誰かにやらせたいとかという人も多く、読書でも書類チェックでも説明書でも商品売買でも、十分にそのものを見る読む確かめることができません。関わり方が中途半端になっています。
全ての駒が目の前に置かれている将棋でも、負けるのは、大体ミスして自滅するパタンが多いですね。
しかし、将棋でとんでもなく強い人がいるように、世の中には、ちゃんとやっている人は、隠れていてもたくさんいるのは確かですね。
補足ですが、ちゃんとやるだけでなく、ちゃんと「終わらせること」も人生において大切なことだと思います。