有名な映画評論家だった淀川長治さん(1909~1998)は、アラン・ドロン主演の『太陽がいっぱい』(1960)を400回以上見て、見ると必ず涙を流したと言われていた。
実は、私も、この映画で、ギリ涙を流せる。
貧困に育ったトムが、人間のやることではないような悪いことをして、ついに、自分を蔑んできた者達を見返すことが出来たと思った時に・・・
淀川さんが、この映画にそこまで感情移入したのは、ご自分の生い立ちと重なるものがあったからだろう。

涙を流すというのとは違う、私が最も感激する映画は、やはりアラン・ドロンと、チャールズ・ブロンソンが共演した『さらば友よ』(1968)だ。
一緒にメシを食ったことも、冗談を言い合ったことも、一緒に遊びに行ったこともなく、それどころか、会えばいきなりパンチを叩き込み、お互いがお互いの嫌悪感を隠しもしない間柄でありながら、なぜか2人は本物の親友になっている。
彼らが友達らしいことをしたのはただ一度、片方が相手にタバコの火をつけてやり、つけてもらう方は、その火を守るように、相手の手に自分の手を添えた時だけだった。
私は、この映画で、友情というものの観念を、世の中で言われるものと全く違うものに変えた。
片方がこう言ってたのをよく憶えている。
「敵と味方は、根っこは案外近いんだ」
敵こそ友で、味方こそ敵である。これは、極端でも何でもない。

そして、私が最も泣けるのは、少し前にも書いたが『妖怪人間ベム』(1968)の最終回だ。
人間をはるかに超越した能力を持ちながら、醜く、人間に嫌われ蔑まれるのが苦しく、人間になりたいと思う3匹の妖怪人間達。
彼らは、根拠なく、「人間を助ける良いことをすれば人間になれる」と思っている。
それで、命懸けで人間を守るために戦い続け、傷付き続けるが、人間から優しくされることも、対等に扱われることすらなく、それどころか、酷い目に遭わされる。
それでも、人間を守り続ける中で、彼らは、ついに人間になる方法を発見する。
だが、彼らは、自分達を迫害し続けた者達を含め、人間達をこれからも守るために、人間になることを諦める。
そして、私は妖怪人間になることを決意したのだ(笑)。
まあ、それで、とにかく、私は権利を主張することは全くなくなった。
妖怪人間に人権はない。何の権利もない。
だが、自主的にそうすると、意外なことに宇宙が特権を与えてくれることが分かった。
気持ちだけでも、人権を捨ててはどうだろうか?

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