アメリカの国務長官だったコンドリーザ・ライスは、ピアニストを目指し15歳でデンバー大学のピアノ専門部門に進んだが、ある時、自分なら1年かかることを1時間でやってしまえる11歳の天才少年を見てしまい、ピアニストになることはやめたらしい。
おそらく彼女は、自分が世界一になれる他のことを見つけることは出来なかったと思う。

ところで、映画の話ではあるが、『禁断の惑星』(1956)で、地球では最高のIQの所有者と言われたモービアス博士は、アルテア第4惑星でかつて存在したクレル人が残した知能測定装置で自分の知能を測定したところ、地球換算で7歳児にも劣る低能児であることが分かったと言う。
もっと身近な例では、公立中学で勉強がダントツの1位だった生徒が一流私立高校に進学したら、その高校では下位の成績だったという話がある。

自分は大したものだと自惚れていたら、上には上がいることを思い知るのは良い経験だ。
だが、その逆パターンのアニメ作品がやたら多いように思う。
すなわち、自分の能力など全く小さくつまらないものだと思っていたのに、実は最強だったというものだが、これは、ごく些細なことであればあるかもしれないが、まずあり得ないことだ。

仏教の専門家として数百冊の本を書いている、ひろさちや氏は昔の本で、「天才といったところで、お釈迦様と比べれば猿みたいなもの」と書いていたが、私もそうかもしれないと思う。
それで思い出したが、『エイトマン』という1963年のアニメで、突然変異で、今の人類とは隔絶した高い能力を持つミュータントが現れ、世界征服を開始する。
ミュータントは3人の9歳の子供であるが、スーパーロボットのエイトマンを見て、1人が「きっと天才的な科学者が作ったに違いない」と言うと、別の1人が「天才と言ったところで、我々と比べれば利口な猿みたいなものさ」と言う。
だが、そのミュータントのことを利口な猿としか思わないような存在がいるかもしれない。

学歴やIQが高くても、ゆめゆめ、自分は頭が良いとか優秀だと思わないことだ。
自分は賢いと思うことが馬鹿の証拠と言って差し支えない。
矢追純一さんは、「僕は頭が悪いから、考えることを放棄した」と言うが、これほど賢い態度はないだろう。それも、子供の時ということであるから、本当の天才かもしれない。
我々も、くれぐれも自惚れないようにし、本当に賢い存在に全てまかせてしまえば良い。それが人類の中では最高に賢い賢者達の教えである。

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(1)コンドリーザ・ライス自伝
(2)禁断の惑星 [DVD]
(3)ヤオイズム(矢追純一)
(4)矢追純一は宇宙人だった!? (矢追純一)
(5)8マン(5)(平井和正、桑田次郎)

楽しい予感
AIアート1995
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Kay

  
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