「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という言葉を初めて聞いた(あるいは見た)時のことを憶えているだろうか?
私は小学6年生の時だったと思うが、割と簡単に納得した。
しかし、日本では、
「人は平等であるべきだが、実際はそうではない」
という考え方が広まってきたと思う。
私が小学6年生の時に感じたのも「平等であるべき」というものに近いと思う。

生まれた家の豊かさの違いもあるが、根本的に人間が平等でないと思われるのが才能に関してだ。
スポーツや芸術の分野では、才能がない限り、食べていくことも出来ない。
また、生まれつきのIQ(知能指数)の差も厳としてあり、IQが高いことのメリットは普通の人が考える以上に絶大であると思う。
さてでは、才能に恵まれない者はどうすればいいだろう。
才能は作り出すことは出来ない。
「才能を伸ばす」という言葉は、実際は「才能を育てる」ということで、才能そのものを大きくすることは出来ないと思う。

とはいえ、才能の秘密が全て解き明かされているわけではない。
昔のソビエトで、絵の才能など全くないと思われる労働者に、催眠術で「お前は天才画家だ」という暗示を与え続けると、その労働者は猛全と絵を描き始めたが、それは実に稚拙な作品だった。
しかし、ずっと描き続けるうちに作品が向上し、やがてクレムリン宮殿に展示されるほどの作品を作ったという。
これをどう捉えるかだが、確かに、埋もれた天才というのは、かなりいるのではないかと思う。
私は、アインシュタインクラスの天才が沢山、埋もれたまま人生を終えていると思う。

だが、実を言えば、人間が内に秘めた魂の力というべきものと比べれば、天才の才能といったところで知れている。
そもそも、才能は魂の中に存在するが、その才能に人間の身体というハードウェアが適合しなければ、才能を発揮出来ないだけのことだ。
生まれつきの身体の性能が高くないと、スポーツの才能が発揮出来ないようなものだ。
そして、実は、脳や肉体が本来持っている力は、普通に考えられているよりずっと高い。
そのリミッターをかけているのが思考である。
だから、たとえば、脚が折れたら走れないということを知らないような人達(そんな未開民族があるらしい)は、脚が折れても元気に走り回ることが出来る。
彼らは、脚が折れたら走れないという思考を全くしないのだ。
自分の子供が2階の窓から落下するのを見た母親が、サンダル履きのまま、オリンピックの陸上短距離の金メダリストより速く走って助けたという話もある。
これらは、火事場の馬鹿力という現象と同じようなものだ。
音楽や数学の才能は、脳内に特異なシステムがなければ発揮出来ないようで、誰でも音楽や数学の天才になれるわけではないが、ある程度のことまでは出来るようだ。
いずれの場合も、ただ、思考を消せば、脳や肉体のリミッターが外れ、時には天才にもなるし、そうでなくても、かなりの能力を発揮出来ると思われる。

「リミッターを外す」という考え方が重要なのだと思う。
たとえば、速く走るには、速く走る能力を付加するのではなく、速く走れないというリミッターを外すのである。
速く走れないリミッターの正体は、速く走れないという脳内の観念だ。
いろいろな機会に、「速く走れない」という言葉を自分に与え続けたのだと思う。
だが、「速く走ることが出来る」と言い続ければ、脳内の観念を消し、リミッターが外れる。
「モテない」というリミッターが外れるとモテるし、「お金がない」というリミッターが外れると、お金がある状態になる。
これは、自己暗示と言うよりは、リミッターを外す言葉で、脳内の観念を消すのである。

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仙花
AIアート1989
「仙花」
Kay

  
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