世界中で500万部が売れたという、ノーマン・ヴィンセント・ピールの『積極的考え方の力』(1952)の最後は、相沢勉(桑名一央)訳では「なぜもっと神の力を求めないのか」だったと思う。最新版の別の翻訳者のものでは「神の力をもっと求めてはどうだろうか」といった感じだったと思う。
この「神」は、一応はキリスト教の神と考えて良いが、もっと広い意味に捉えても構わないと思う。
ピールと同じ1898年生まれのジョセフ・マーフィー(ピールが5月31日生まれでマーフィーが5月20日生まれ)は、ピールと同じ牧師だが、神を、潜在意識の中の万能の力とし、この力は「どんな宗教でも、あるいは、無宗教でも問題なく使える」と述べている。

要は、神の力は、人間の思考力や肉体の力を完全に凌駕する巨大な全知全能の力のことと考えて良いだろう。
ピールの最大の主張は、そんな力の恩恵に預かれということであり、マーフィーも全く同じなのだと思う。
そして、現代的な言い方をすれば、「もっと引き寄せの力を使え」ということになると思う。

子供から老人まで、多くの人が、人生に絶望し、無力感に苛(さいな)まれ、不安に怯えている状態だ。
私の知り合いにも、そんな人が何人もいる。
私は、そんな人達に「ちゃんと引き寄せの力を使え」と言いたいが、特に年齢が高いほど、「引き寄せが本当にあるのか?」という段階、あるいは、それ以前の段階にいる。

問題なのは、引き寄せや引き寄せに類するものの種類が多過ぎ、また、その中にはいい加減なもの、怪しいものも多いかもしれないことだ。
「引き寄せを超えた」「新しい引き寄せ」みたいな言い方をする者も多いが、どれも同じ引き寄せ・・・つまり、正体がはっきりしているわけではないが、人間の誰もが利用可能な全知全能の力を活用することである。

私は人生を振り返ってみれば・・・自伝でも書くほどに詳細に分析すれば、うまくいったことは全て、努力した部分もあるにせよ、幸運によるものであると分かるのだ。幸運も、そうでない出来事も全て偶然と考える人もいるが、冷静に見れば、偶然としては、うまく出来過ぎていることが分かるのではないかと思う。
意識的に行ったのではないにしても、誰もが引き寄せの力の恩恵を受けている。
それなら、もっとしっかり活用すれば良い・・・と言うよりむしろ、その力は、本来は味方であるのだから、ちゃんと味方につけるべきである。
その力を邪魔するのが思考である。
昔の人は、瞑想のような祈り方をして思考を消し、その力を味方にして楽しく生きることが出来た。
しかし、王国でも共和国でも、権力者が人民を支配するようになり、支配者は、人民に常に考えさせることで神の力を封印した。
ところが、一般には、「何も考えないから人民は権力者に搾取される」と思い込んでいる。
それは誤まりで、蹂躙される者というのは、ロクでもないことをたえまなく頭の中で繰り返しているのである。あなたもそうではあるまいか?
だから、ラマナ・マハルシは、自分が考えていることに気付いたら、「考えているのは誰か?それは私だ。では、私は誰か?」と問うよう教えたが、これは難しい(難しいと言ってはいけないらしいが、難しいものは難しい)。
だが、絶えず何かの言葉を淡々と繰り返せば、思考を抑えることが出来る。
だから、1日中「神様の奇跡が起こる」と唱えた人に、1億円を2回得たり、ローマ法王に謁見したりといった奇跡が起きたのである。
別に「神様の奇跡が起こる」という言葉に意味があるのではなく、思考が消えたことが重要であり、言葉は何でも良い。
たとえば、「ありがたい」でも良いし、「全て大丈夫だ」でも良い。
案外に、「お金がある」という言葉が、思考を消すのに論理的で科学的とさえ言えると思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)積極的考え方の力(ノーマン・ヴィンセント・ピール)
(2)眠りながら成功する(ジョセフ・マーフィー)

楽園の乙女
AIアート1982
「楽園の乙女」
Kay

  
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