日本武道は、いかなるものでも、礼に始まり礼に終わると言う。
柔道が国際スポーツになった際も、礼を義務付けることが出来た意義は大きいと思う。
だが、少し前のオリンピックであったが、柔道の決勝で勝った日本選手が、飛び跳ねながらガッツポーズを続けるのは礼を失して見苦しかった。しかし、マスコミはただ絶賛するのみだった。
1972年のミュンヘンオリンピックの柔道決勝で勝ったウィリアム・ルスカ(オランダ)が、やはり、ガッツポーズで喜びを爆発させたことがあったが、こちらは少し理解出来るところがあった。
同じオランダのアントン・ヘーシンクが無差別級で優勝した東京オリンピックには、当時24歳だったルスカは出場が叶わず、次のメキシコはオランダがオリンピックをボイコット。そして、32歳でようやく出場出来たオリンピックだったのだから。
このミュンヘンオリンピックでルスカは、柔道で唯一、1つのオリンピックで2つの金メダル(重量級、無差別級)を獲得した。2000年シドニー大会からは2階級への出場が禁止されたが、東京からアトランタまでの9大会で、ルスカ以外に2階級制覇を成し遂げた者はいない。
ルスカは日本で柔道の修行をしたこともあり、武道精神を持っていたという話もある。そんなルスカが、アントニオ猪木とプロレス(筋書きがある試合)をした時は、事前に、日本の師匠に理解を求めに行ったという話もある。当時、ルスカは金に困っていたとも言われている。
ちなみに、先の、礼を失した日本選手もルスカも、その後はあまり良い人生を送っていない。
史実ではないかもしれないが、漫画の『ベルサイユのばら』で、重税に苦しむ市民がベルサイユ宮殿に集まり抗議を行った際、マリー・アントワネットが登場し、市民に気品ある礼をしたら市民が静まったと言う。そんな礼をする人はいるかもしれない。
こちらは完全なフィクションだが、小説『木枯し紋次郎』(『帰って来た木枯し紋次郎』シリーズの最終話だったと思う)で、商人の使用人が武士と接触してしまい、怒った武士が使用人を切り捨てようとしたら、その使用人の主である17歳の娘が「使用人の不始末は主の不始末。どうか私をお切り下さい」と地面に座り頭を垂れ、武士は刀を振りかざすも、やがて武士は脂汗を流して、何もせずに去っていった。これもまた、見事な礼である。
※ちなみに、本当は、そんなことで武士が町人を切ったら、いくら当時でも立派な殺人罪である。
合気道家の植芝盛平の道場の畳を張り替えた畳業者の男が立ち去る際、道場は練習中だったので、畳業者の男は、離れた場所から、向こうを向いていた植芝に礼をしたところ、植芝は振り向いて礼をしたのだが、その礼があまりに見事なので感動したと言う。
MRT(仙骨無痛療法)の創始者である内海康満さんの礼は見事だと聞いたことがあるが、私が、内海さんの公開治療が行われるというビルに行くと、内海さんがエレベーターから出てこられたが、私が1ミリの礼をしたら、内海さんが1ミリの礼を返してきて非常に感動した思い出がある。
内海さんは武道家でもある。
これはYouTubeで見たもので、どこまで本当の話か分からないが、韓国のテコンドーと日本の空手が親善試合みたいなことをした時、韓国選手が空手を馬鹿にし、さらに、対戦相手に出て来た、日本の12歳の小柄な少女を嘲った態度をしたが、その日本人選手がそんな韓国選手に見事な礼をすると、会場が静まり返ったと言う。
動画の作りからして、信憑性を疑ったが、私はこんな話が好きだ(笑)。
礼とは思考を消すことである。
思考が消えた状態を、忘我、没我、無我、あるいは、無になるなどと言うが、そこに、武道のみならず、あらゆることの極意がある。
意識を持ったまま思考を消せば無敵である。
引き寄せも思考を消すことである。よって、礼の精神が全くない者には出来ないことである。
私も、普段から、丁寧な礼を心がけようと思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)帰って来た紋次郎最後の峠越え(笹沢佐保)
(2)ベルサイユのばら(1)(池田理代子)
(3)中心感覚(内海康満)
(4)武産合気 ー合気道開祖・植芝盛平先生口述
(5)完本 1976年のアントニオ猪木(柳澤健)

AIアート1960
「ピンクの壁」
Kay
柔道が国際スポーツになった際も、礼を義務付けることが出来た意義は大きいと思う。
だが、少し前のオリンピックであったが、柔道の決勝で勝った日本選手が、飛び跳ねながらガッツポーズを続けるのは礼を失して見苦しかった。しかし、マスコミはただ絶賛するのみだった。
1972年のミュンヘンオリンピックの柔道決勝で勝ったウィリアム・ルスカ(オランダ)が、やはり、ガッツポーズで喜びを爆発させたことがあったが、こちらは少し理解出来るところがあった。
同じオランダのアントン・ヘーシンクが無差別級で優勝した東京オリンピックには、当時24歳だったルスカは出場が叶わず、次のメキシコはオランダがオリンピックをボイコット。そして、32歳でようやく出場出来たオリンピックだったのだから。
このミュンヘンオリンピックでルスカは、柔道で唯一、1つのオリンピックで2つの金メダル(重量級、無差別級)を獲得した。2000年シドニー大会からは2階級への出場が禁止されたが、東京からアトランタまでの9大会で、ルスカ以外に2階級制覇を成し遂げた者はいない。
ルスカは日本で柔道の修行をしたこともあり、武道精神を持っていたという話もある。そんなルスカが、アントニオ猪木とプロレス(筋書きがある試合)をした時は、事前に、日本の師匠に理解を求めに行ったという話もある。当時、ルスカは金に困っていたとも言われている。
ちなみに、先の、礼を失した日本選手もルスカも、その後はあまり良い人生を送っていない。
史実ではないかもしれないが、漫画の『ベルサイユのばら』で、重税に苦しむ市民がベルサイユ宮殿に集まり抗議を行った際、マリー・アントワネットが登場し、市民に気品ある礼をしたら市民が静まったと言う。そんな礼をする人はいるかもしれない。
こちらは完全なフィクションだが、小説『木枯し紋次郎』(『帰って来た木枯し紋次郎』シリーズの最終話だったと思う)で、商人の使用人が武士と接触してしまい、怒った武士が使用人を切り捨てようとしたら、その使用人の主である17歳の娘が「使用人の不始末は主の不始末。どうか私をお切り下さい」と地面に座り頭を垂れ、武士は刀を振りかざすも、やがて武士は脂汗を流して、何もせずに去っていった。これもまた、見事な礼である。
※ちなみに、本当は、そんなことで武士が町人を切ったら、いくら当時でも立派な殺人罪である。
合気道家の植芝盛平の道場の畳を張り替えた畳業者の男が立ち去る際、道場は練習中だったので、畳業者の男は、離れた場所から、向こうを向いていた植芝に礼をしたところ、植芝は振り向いて礼をしたのだが、その礼があまりに見事なので感動したと言う。
MRT(仙骨無痛療法)の創始者である内海康満さんの礼は見事だと聞いたことがあるが、私が、内海さんの公開治療が行われるというビルに行くと、内海さんがエレベーターから出てこられたが、私が1ミリの礼をしたら、内海さんが1ミリの礼を返してきて非常に感動した思い出がある。
内海さんは武道家でもある。
これはYouTubeで見たもので、どこまで本当の話か分からないが、韓国のテコンドーと日本の空手が親善試合みたいなことをした時、韓国選手が空手を馬鹿にし、さらに、対戦相手に出て来た、日本の12歳の小柄な少女を嘲った態度をしたが、その日本人選手がそんな韓国選手に見事な礼をすると、会場が静まり返ったと言う。
動画の作りからして、信憑性を疑ったが、私はこんな話が好きだ(笑)。
礼とは思考を消すことである。
思考が消えた状態を、忘我、没我、無我、あるいは、無になるなどと言うが、そこに、武道のみならず、あらゆることの極意がある。
意識を持ったまま思考を消せば無敵である。
引き寄せも思考を消すことである。よって、礼の精神が全くない者には出来ないことである。
私も、普段から、丁寧な礼を心がけようと思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)帰って来た紋次郎最後の峠越え(笹沢佐保)
(2)ベルサイユのばら(1)(池田理代子)
(3)中心感覚(内海康満)
(4)武産合気 ー合気道開祖・植芝盛平先生口述
(5)完本 1976年のアントニオ猪木(柳澤健)

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