合気道家で神道家の佐々木将人さんは、『数霊のメッセージ』の中で、
「アジマリカンを唱えれば幸せになる。なぜそうなるのかの理屈は学者にまかせて、ただ唱えれば良い」
といったことを書いていたが、(アジマリカンを唱えると幸せになるということが)本当か嘘かというと本当である。
ところが、どこかの神道家だと思うが、YouTubeで、
「アチマリカムが正しいのじゃ。アチマリカムと唱えよ」
と言う。
では、これは正しいのかというと、正しい。
それなら、アジマリカンは間違いかというと、間違いではない。
どっちでも同じだ。
ある呪文や真言に特別な霊力があるのかというと、あるかもしれないが、それを証明することは出来ない。
それなのに、「この言葉には特別な力がある」と言う人には3種類いる。
1つは、「俺は特別だから分かるのだ」と言う人。
こんな人とは関わりを持たない方が良い。あなたを意図的に騙しているか、あるいは、妄想家だ。
2つ目は、「俺は研究の末、解明したのだ」と言う人。
そんな解明出来やしない。そんなことを言う者は、私は、嘘つきか、あるいは、ただの馬鹿だと思う。そんな人とも関わってはならない。
3つ目は、「どの言葉でも同じ。真面目に唱えれば力がある」と言う人。
そう言う人は、ただ当たり前のことを言っているのであり、別に偉くはないがまともな人だ。普通に付き合えば良い。
佐々木将人さんは、「アジマリカンを唱えれば幸せになる」とは言ったが、別に、アジマリカンでないといけないとか、アジマリカンが特別だとは言っていない。
あるおばあさんが、万能の呪文「アビラウンケン」を教えてもらったが、それを「油売らんか」と間違えて憶えた。
しかし、それをいつも唱えていたら素晴らしい効果があった。
だが、ある僧に、「それはアビラウンケンじゃ」と言われ、そう唱えるようになったら効果がなくなったという。
実際は、「アビラウンケンでも」良かったのである。
ただ、おばあさんは、愛用していた「油売らんか」が間違いだと言われて気落ちし、気分良くアビラウンケンを唱えることが出来なかったのだろうと思う。それで効果が出なくなったのだが、続けて唱え続ければ、やがて効果が出てきたと思う。
言葉は何でも良いのである。自分が気分良く、長い間、真摯に唱えることが出来る言葉でさえあれば。
「お金がある」でも十分と言うか、これほど効果が出易い言葉は珍しいかもしれない。
少し常識的な理屈を言うと、「お金がない」という言葉が、言う人に、最悪というほど悪い影響を与えることは科学的にも分かっているらしいが、直観的に分かると思う。
ところが「お金がない」という言葉を使う者は多いだけでなく、ほとんどの人が無意識的に頭の中で言っているし、言う可能性がある。
それを打ち消す意味でも「お金がある」は良い影響が期待出来るし、この言葉が潜在意識に定着すれば、安心感を感じ、お金がある状態になるよう、潜在意識が導いてくれるかもしれない。
何かの言葉を唱えることになぜ力があるのかというと、思考を止めるというただ1つの理由であると思う。
よって、よほどおかしな感情を起こさせる言葉でない限り、何でも良いのである。
とはいえ、なるべく、心静かに真摯に唱えることが出来る言葉が良いので、真言、念仏、祝詞、聖書の言葉、神の名といったものが使われるのである。
ただ、個人的なことだが、葬式仏教の影響で、私は念仏を唱え難くなってしまった。
あるお葬式で、お坊様に、しつこく何度も皆と一緒に念仏を唱えさせられ、すっかり気持ち悪くなってしまった。
1人静かに唱えるのが好きな人もいるのである。
まあ、やはり個人的なことだが。
私は、「私は誰か?」もよく唱えるようになった。必ず心の中で唱える。
答が、「私は常に(一切を)生成する者である」と分かってから唱え易くなった。
「私は世界を作っている神である」と言っても良い。
あるいは、「私は常に生成する者である」や、「私は世界を作っている神である」と唱えたって良い。
真実というのは唱え易いものである。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)数霊のメッセージ(佐々木将人)
(2)ラマナ・マハルシの教え(ラマナ・マハルシ。山尾三省訳)
(3)神道の神秘(山蔭基央)
(4)密教の聖なる呪文(正木晃)
(5)新版 歎異抄 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

AIアート1956
「白い花」
Kay
「アジマリカンを唱えれば幸せになる。なぜそうなるのかの理屈は学者にまかせて、ただ唱えれば良い」
といったことを書いていたが、(アジマリカンを唱えると幸せになるということが)本当か嘘かというと本当である。
ところが、どこかの神道家だと思うが、YouTubeで、
「アチマリカムが正しいのじゃ。アチマリカムと唱えよ」
と言う。
では、これは正しいのかというと、正しい。
それなら、アジマリカンは間違いかというと、間違いではない。
どっちでも同じだ。
ある呪文や真言に特別な霊力があるのかというと、あるかもしれないが、それを証明することは出来ない。
それなのに、「この言葉には特別な力がある」と言う人には3種類いる。
1つは、「俺は特別だから分かるのだ」と言う人。
こんな人とは関わりを持たない方が良い。あなたを意図的に騙しているか、あるいは、妄想家だ。
2つ目は、「俺は研究の末、解明したのだ」と言う人。
そんな解明出来やしない。そんなことを言う者は、私は、嘘つきか、あるいは、ただの馬鹿だと思う。そんな人とも関わってはならない。
3つ目は、「どの言葉でも同じ。真面目に唱えれば力がある」と言う人。
そう言う人は、ただ当たり前のことを言っているのであり、別に偉くはないがまともな人だ。普通に付き合えば良い。
佐々木将人さんは、「アジマリカンを唱えれば幸せになる」とは言ったが、別に、アジマリカンでないといけないとか、アジマリカンが特別だとは言っていない。
あるおばあさんが、万能の呪文「アビラウンケン」を教えてもらったが、それを「油売らんか」と間違えて憶えた。
しかし、それをいつも唱えていたら素晴らしい効果があった。
だが、ある僧に、「それはアビラウンケンじゃ」と言われ、そう唱えるようになったら効果がなくなったという。
実際は、「アビラウンケンでも」良かったのである。
ただ、おばあさんは、愛用していた「油売らんか」が間違いだと言われて気落ちし、気分良くアビラウンケンを唱えることが出来なかったのだろうと思う。それで効果が出なくなったのだが、続けて唱え続ければ、やがて効果が出てきたと思う。
言葉は何でも良いのである。自分が気分良く、長い間、真摯に唱えることが出来る言葉でさえあれば。
「お金がある」でも十分と言うか、これほど効果が出易い言葉は珍しいかもしれない。
少し常識的な理屈を言うと、「お金がない」という言葉が、言う人に、最悪というほど悪い影響を与えることは科学的にも分かっているらしいが、直観的に分かると思う。
ところが「お金がない」という言葉を使う者は多いだけでなく、ほとんどの人が無意識的に頭の中で言っているし、言う可能性がある。
それを打ち消す意味でも「お金がある」は良い影響が期待出来るし、この言葉が潜在意識に定着すれば、安心感を感じ、お金がある状態になるよう、潜在意識が導いてくれるかもしれない。
何かの言葉を唱えることになぜ力があるのかというと、思考を止めるというただ1つの理由であると思う。
よって、よほどおかしな感情を起こさせる言葉でない限り、何でも良いのである。
とはいえ、なるべく、心静かに真摯に唱えることが出来る言葉が良いので、真言、念仏、祝詞、聖書の言葉、神の名といったものが使われるのである。
ただ、個人的なことだが、葬式仏教の影響で、私は念仏を唱え難くなってしまった。
あるお葬式で、お坊様に、しつこく何度も皆と一緒に念仏を唱えさせられ、すっかり気持ち悪くなってしまった。
1人静かに唱えるのが好きな人もいるのである。
まあ、やはり個人的なことだが。
私は、「私は誰か?」もよく唱えるようになった。必ず心の中で唱える。
答が、「私は常に(一切を)生成する者である」と分かってから唱え易くなった。
「私は世界を作っている神である」と言っても良い。
あるいは、「私は常に生成する者である」や、「私は世界を作っている神である」と唱えたって良い。
真実というのは唱え易いものである。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)数霊のメッセージ(佐々木将人)
(2)ラマナ・マハルシの教え(ラマナ・マハルシ。山尾三省訳)
(3)神道の神秘(山蔭基央)
(4)密教の聖なる呪文(正木晃)
(5)新版 歎異抄 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

AIアート1956
「白い花」
Kay
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「I am that」でもいちおう検索してみたら「私はそれです」でした。
あと蛇足ですが「I ami taht」と入力すると勝手に「 I am that I am」になってしまうのでパソコンに「勝手に推測すんな!」と思いました。