日本人は、神とか仏というと、おとぎ話っぽく感じてしまい、大の大人が真面目に神とか仏のことを話すのは恥ずかしかったり、幼稚になったように感じるのである。
これは、第二次世界大戦直後のアメリカによる強力な思想統制の影響であると思う。
まさに、神道や仏教が、ただのおとぎ話で子供っぽいものだと思い込まされたのだろう。
アメリカでは「我々は神を信頼する」が国家の標語であり、政府機関の建物の中の権威ある部屋の入口の上やお金にもそう書かれている。
そんなことは日本では考えられない。

もっとも、アメリカでも、神を信頼すると言ったところで、庶民にとって、神はあくまで宗教上のものであり、生活とは関係がないと思わされたり、やはり、神を子供のおとぎ話のように感じる者が多いのだと思う。
イーロン・マスクのような賢い人も、子供の時は神とはそのようなものと思ったが、彼は聖書をちゃんと読み、イエス・キリストは賢明な人だと思ったらしい。
ところが、マスクは幸いなことに、子供の時に、ダグラス・アダムスの『銀河ヒッチハイク・ガイド』を読み、心のキャパシティ(収容能力)の制限が破壊され、並の人間とは比較にならないマインド空間を得たのだ。
『銀河ヒッチハイク・ガイド』は、そんなことを起こす本当にぶっ飛んだ作品だ。
『銀河ヒッチハイク・ガイド』だけでなく、優れたSFには、そのような力があるものが多く、ビッグテック(巨大テクノロジー企業)の創業者がSF好きなことも分かるように思う。

一般的な思考の枷(かせ)といったものを叩き壊さないと、真理が見えないし、引き寄せみたいなものも出来ないものだ。
宗教というのは、ますます思考の枷を強化する働きがあるように思う。
私の場合、精神的な拘束を解いてくれたのは『銀河パトロール隊』から始まるレンズマンシリーズだった。
私はこの中に登場する宇宙最古の生命体であるアリシア人に神の姿を見たのだった。
アリシア人は、私にとって、聖書、ギリシャ神話、古事記、インド神話、仏教経典に描かれた神や仏を超え、リアリティのある神であった。

現在、アニメが世界的にヒットしている『俺だけレベルアップな件』も、小説を読み進めていると、『銀河ヒッチハイク・ガイド』やレンズマンシリーズに似た雰囲気の、壮大でありながらクレバーな作品であると感じ、とても面白いと思う。
ただ、『俺だけレベルアップな件』の小説は、日本ではピッコマ(アプリ)でしか読めないが、このカカオピッコマというほとんど知られていない会社が運命するアプリが、悪い意味ではないが謎で、これほどの人気作品をAmazonよりも先行して出版出来る仕組みが、考えると凄い。
とはいえ、ゆっくりで良ければ無料で読めるし、まとめて読むのも安価だ。
漫画の方も原作に忠実で、しかもカラーだが、ピッコマがAmazonなどより、ずっと先行して出版している。
漫画は、私は絵柄があまり好きでなかったが、途中からよくなってきたと思う。

小説のようなもので神の高度な観念を持つのは良いことと思う。
無論、哲学という手もあるが、難解を超えて病的に偏執的なものが多いように感じる(笑)。
その点、SFなんて、基本娯楽なのだから、まだ素直なのであると思う。
私も、デカルトの『方法序説』やプラトンの『ソクラテスの弁明』のような、短くて簡単なものを読んで「ああ、神はあるなあ」と思ったが、何というか、実用性がない(笑)。
確固たる神の観念を持っていると、引き寄せは容易くなると思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)銀河ヒッチハイク・ガイド ~銀河ヒッチハイク・ガイドシリーズ1~(ダグラス・アダムス)
(2)銀河パトロール隊 ~レンズマン・シリーズ1~(E.E.スミス)
(3)方法序説(デカルト)
(4)ソクラテスの弁明 クリトン(プラトン)
(5)俺だけレベルアップな件 1 ※カラー漫画

子供の部屋
AIアート1940
「子供の部屋」
Kay

  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ