タイムリープ(意識が過去に時間移動し、過去の自分の身体に入ること)は、過去への時間旅行というより、「過去らしい」世界と、「過去の自分らしい」身体を作り出すということに過ぎない。
「これは10年前の世界だ」と思っているとしても、そう思い込んでいるだけだ。
過去の世界なんてものは本当はない。自分が今作り出した幻想、あるいは、夢のようなものだ。

時間旅行を扱ったSFで、過去に行って世界を変えたら、現在が変わってしまうという話がよくあるが、過去の世界なんてものはないので、意味のない話である。
過去に行って、自分の両親や先祖を殺しても、自分が消えることはない。
今、生きている自分が主人公であり、過去や未来のことも、今考えているだけだ。
つまり、過去の思い出は思い込みで、未来の世界や自分のことは単なる想像だ。
端的に言うなら、過去も未来も等しく想像でしかない。今の自分が思い描いている想像だ。
しかし、過去の想像である記憶は「既に起こったこと」と認識し、未来の想像は「まだ起こっていない」と認識している。
いずれも、想像した時点で既に起こっている。
彼女にフラれた過去が現実なら、未来にその彼女以上の美人を恋人にするという想像も現実だ。
その未来は一瞬で訪れる(一瞬でしか訪れない)。
だが、そうはならないように思うのは、自分がその未来を、今作らないからだ。

私は今朝、夢の中で、良家の子息子女が入る学校に、なぜか庶民なのに在籍していた。
別に、過去に、そんな学校に入る経緯があったわけではない。今、自分が想像しただけだ。
そこで自分に聞けば良かったのだ。
「私は誰か?」
と。
私は、由緒ある学校に在籍する平民というだけの者ではない。その世界を創造した神なのである。
神でありながら、「由緒ある学校に在籍する平民」という仮の自分なのである。

だから、今だって、「私は誰か?」と問えば良い。
あなたは、自分はサラリーマンであるとか、学生だとか、大工だ、年金暮らしの老人だ等と思っているが、それは仮の姿であり、単なる想像だ。

ではなぜ、自分はお金持ちの17歳の超イケメンでないのか?
一言で言えば、脇が甘いのである。
周辺の細かい状況を設定していないので、自分はお金持ちのイケメンの17歳ということが不自然なのだ。
いや、もっと適確に言えば、自分が冴えない中年のサラリーマンであるという設定が出来上がってしまっているのである。

一般的な引き寄せは、金持ちになった自分が自然になるよう、周囲の状況を細かく設定するのである。
だが、上位の引き寄せでは、周囲の状況みたいなものは、全部壊してしまうのである。それは、自分が本当は誰であるかを知っていなければ出来ない。
「私は誰か?」
「私とは何か?」
「私とは?」
そんなふうに問うて、自分は本当は誰か(何か)が分かれば良いのである。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)ラマナ・マハルシの教え(ラマナ・マハルシ。山尾三省)
(2)アイ・アム・ザット 私は在る ~ニサルガダッタ・マハラジとの対話~
(3)中国の思想(6) 老子・列子(徳間文庫)
(4)アルケミスト ~夢を旅した少年~(パウロ・コエーリョ)

いつか見た少女
AIアート1938
「いつか見た少女」
Kay

  
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