出口王仁三郎(1871~1948)という偉大な神道家がいたが、彼は日本語を言霊として非常に大切にすべきことを教えたのだと思う。
ところで、世界でもトップクラスだった数学者の岡潔(1901~1978)も、言霊という言葉は使わなかったと思うが、日本語の重要性を切々と説いていた。
それで2人共、当然ながら、言葉を大切にしろ、良い言葉を使えと言い、共に「ありがとう」とか「おかげさま」という言葉を良い言葉の例として取り上げている。
共に、全ては言葉から生じるといった意味のことを言っていたようにも思う。深い思想については、私には分からないが。
今気付いたが、この2人の生年と没年が丁度30年ずれているのは、偶然とはいえ面白い。共に76歳で亡くなっている。
決してこの2人の言うことに反対するわけではないが、人間が最も神に近付くのは、思考が消えた時であり、それは、言葉が消えた時であるとも言える。
悪い言葉を使うよりは、良い言葉を使うことが良いが、もっと良いのは、言葉を使わないことだ。
老子や荘子が、無為の為と言って、行為を何もしないことが最も優れた行為だと言ったように、言葉を使わないことが最も優れた言葉であると思う。
言霊とは、決して難しい言葉ばかりではなく、「全て大丈夫だ」といったものも優れた言霊であるらしい。
そして、「全て大丈夫だ」と唱えていれば、本当に大丈夫になるだろう。
だが、これを公式のように使ったり、良いことが起これと期待し過ぎて唱えると、言霊が言霊でなくなることもあると思う。
出口も岡も、良い言葉を口に出すことの価値を語っていたと思うが、例えば、「平和」とか「ありがたい」といった、言霊と言うに相応しい言葉を頭の中で唱え、ちょっと難しいかもしれないが、その頭の中の声をどんどん小さくしていき、頭の中ですら聞こえないほど小さくなれば、それが本当に言霊になるのだと思う。
俗っぽいが、「富」という言葉を、そのように唱えれば富を引き寄せるが、頭の中で粗暴に「富」と唱えても、なかなか富を引き寄せない。
もっと良いのが、頭の中心・・・これは脳の中心ということにもなるのだが、その部分に意識を集中すれば、一切の言葉が消えていき、超越状態と言える意識状態になる。
その状態に慣れれば、神として思い行動するようなことになる。
もちろん、簡単に、完全にそうなるわけではないが、言葉にこだわり、おかしな方向に行くことを回避出来ると思う。
欲張らずに、欲しいものを言葉にして、その言葉を頭の中でどんどん小さくしていけば、大抵何でも得られることを体験したら、頭の中を無にすれば、望まずとも幸運に恵まれることを知ると良い。
なぜそうなるのかと言うと、細かく説明すればややこしいが、やはり、世界は幻想であり、一瞬一瞬、泡のように生まれ出ては消えるからである。
だが、無になれば、そのようなことも自ずと見えてくるのだと思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)三鏡(出口王仁三郎)
(2)春宵十話(岡潔)
(3)日本語は神である(昌原容成)
(4)ヒマラヤ聖者の生活探究 第5巻(ベアード.T.スポールディング)
(5)ラマナ・マハルシの教え(ラマナ・マハルシ。山尾三省訳)

AIアート1934
「平和な朝」
Kay
ところで、世界でもトップクラスだった数学者の岡潔(1901~1978)も、言霊という言葉は使わなかったと思うが、日本語の重要性を切々と説いていた。
それで2人共、当然ながら、言葉を大切にしろ、良い言葉を使えと言い、共に「ありがとう」とか「おかげさま」という言葉を良い言葉の例として取り上げている。
共に、全ては言葉から生じるといった意味のことを言っていたようにも思う。深い思想については、私には分からないが。
今気付いたが、この2人の生年と没年が丁度30年ずれているのは、偶然とはいえ面白い。共に76歳で亡くなっている。
決してこの2人の言うことに反対するわけではないが、人間が最も神に近付くのは、思考が消えた時であり、それは、言葉が消えた時であるとも言える。
悪い言葉を使うよりは、良い言葉を使うことが良いが、もっと良いのは、言葉を使わないことだ。
老子や荘子が、無為の為と言って、行為を何もしないことが最も優れた行為だと言ったように、言葉を使わないことが最も優れた言葉であると思う。
言霊とは、決して難しい言葉ばかりではなく、「全て大丈夫だ」といったものも優れた言霊であるらしい。
そして、「全て大丈夫だ」と唱えていれば、本当に大丈夫になるだろう。
だが、これを公式のように使ったり、良いことが起これと期待し過ぎて唱えると、言霊が言霊でなくなることもあると思う。
出口も岡も、良い言葉を口に出すことの価値を語っていたと思うが、例えば、「平和」とか「ありがたい」といった、言霊と言うに相応しい言葉を頭の中で唱え、ちょっと難しいかもしれないが、その頭の中の声をどんどん小さくしていき、頭の中ですら聞こえないほど小さくなれば、それが本当に言霊になるのだと思う。
俗っぽいが、「富」という言葉を、そのように唱えれば富を引き寄せるが、頭の中で粗暴に「富」と唱えても、なかなか富を引き寄せない。
もっと良いのが、頭の中心・・・これは脳の中心ということにもなるのだが、その部分に意識を集中すれば、一切の言葉が消えていき、超越状態と言える意識状態になる。
その状態に慣れれば、神として思い行動するようなことになる。
もちろん、簡単に、完全にそうなるわけではないが、言葉にこだわり、おかしな方向に行くことを回避出来ると思う。
欲張らずに、欲しいものを言葉にして、その言葉を頭の中でどんどん小さくしていけば、大抵何でも得られることを体験したら、頭の中を無にすれば、望まずとも幸運に恵まれることを知ると良い。
なぜそうなるのかと言うと、細かく説明すればややこしいが、やはり、世界は幻想であり、一瞬一瞬、泡のように生まれ出ては消えるからである。
だが、無になれば、そのようなことも自ずと見えてくるのだと思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)三鏡(出口王仁三郎)
(2)春宵十話(岡潔)
(3)日本語は神である(昌原容成)
(4)ヒマラヤ聖者の生活探究 第5巻(ベアード.T.スポールディング)
(5)ラマナ・マハルシの教え(ラマナ・マハルシ。山尾三省訳)

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