天才とは、何か特別なものを持っているのではなく、何かが欠けていることだ。
これが結論のように思う。
なぜそうなるのかというと、1人の普通の人間のエネルギーとか才能はあまり多くないからだ。
そのエネルギーを分散させずに、1つのことに向ければ大きな力を発揮することが出来る。
しかし、学校では、教師の雇用を守るために、全ての生徒があらゆる学科に参加しないといけないという馬鹿げたことが行われている。
アメリカの一部で活発なアンスクーリング(子供の興味や好奇心を重視した教育方法)とか、自主的に学校を無視しなければ、せっかくの能力を発揮出来なくなる危険性が高い。

学校では、欠陥を治すフリをして、天才を奪い去る。
もちろん、本当に道徳的、倫理的な欠陥は治さないといけないが、そのことは今回の話題ではない。

密教や魔法結社では、まさに、欠陥を作り出すことで異常な能力を覚醒させることが行われている。
よくある方法が、全く会話をしないことで、他にも、目隠しをして生活したり、片手で食事をしたりなどがある。
ラテン語だけで話すというのも、なかなか面白い効果があるらしい。
『灼眼のシャナ』に登場した紅世の王の1人ティアマトーのように、漢字の四字熟語だけで話すというのも、良い訓練であると思う。
ダンテの『神曲』は、全編が三行韻詩(しかも各行11音節)という制限をつけたからイタリア最大の文学になったようにも思われる。制限は一種の欠陥とも言える。
もちろん、俳句や和歌が素晴らしい理由もそこにある。

高藤総一郎さんの本に書かれていたが、孤独であるなら、人と触れ合うことを諦めて孤独に徹すれば良いのである。
孤独もまた、重要な欠陥である。
貧乏なら、ジタバタせずに貧乏に徹するのである。
モテなければ、徹底的に男断ち、女絶ちをするのも良いぞ(笑)。
モテないわけではなかったが、上杉謙信は完全な女絶ちにより、戦は無敗であったという。きっと、宇宙エネルギーの加護を得たのだろう。
このように、何かを犠牲にして力を得ることを、日本では「断ち物」と呼んでいた。

人様に迷惑をかけないことで欠陥を磨くというのは、実に優れた能力開発法、神秘力開発法であると思う。
マントラを延々繰り返すというのも、精神を磨くというよりは、何らかの欠陥を強化しているように思う。
五感や思考、感情を引き上げ、何の意味もないことに脳のリソースを使うのであるから、本当にそうかもしれない。
逆に、何かを求めてマントラを唱えると、効果がないのだと思う。
ただ意味もなく唱えるのが良いのだと思う。

力の獲得の鍵は、出来損ないの人間の脳の構造を逆手に取ることである。
たとえば、幼稚であることは、周囲には迷惑をかけるが、天才とは大抵、幼稚なものである。
私は、あまり迷惑をかけない範囲で幼稚に徹している。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)幼児化するヒト ~「永遠のコドモ」進化論~(クライブ・ブロムホール)
(2)教養としてのテクノロジー(伊藤穣一)
(3)ホロン革命 新装版—部分と全体のダイナミクス(アーサー・ケストラー)
(4)神曲 地獄篇(ダンテ)

木精
AIアート1927
「木精」
Kay

  
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