私が好きな話なので、よく取り上げるが、駄目な人には参考になるかもしれない話だ。
後には成功したが、若い時には大失敗状態だった男がいた。
実家が大金持ちで、大金と野望を持って事業を始めたが、詐欺に遭って莫大な借金を背負う。
さらに事故に遭って脚を折って働けなくなるという、「弱り目に祟り目」の典型であった。
その中で、彼はキリスト教徒になったので、神様という頼る相手が出来た。
そこで、彼は、神様にこう祈った。
「これまでの私の人生の失敗は私の責任です。でも、これからの私の人生の責任はあなたに取って欲しい」
人によっては・・・というか、普通の日本人なら、ほとんどの人が呆れるかもしれない。
彼は、具体的には、
「私はもう35歳です。これはという仕事を下さい」
と神様に祈った。
すると、その翌日、百科事典の販売会社から、セールスマンとしてスカウトされた。スカウトと言っても、普通の勧誘と思うが。
※当時(昭和30年代か40年代)は、百科事典を訪問セールスするのは珍しくなかった。
彼はその後、セールスマンとして大成功した。
「これからは、神様に責任を取って欲しい」という意味を少し説明したい。
これはつまり、「私は責任を負わないよ」ということで、これを無責任と言うのかもしれない。
しかし、人間に責任は取れない・・・というのが宇宙の真理なのだ。
「まあ、妄想家はそう思えば良いが、責任ある立場なら、そんなことは言えない」と言いたい人も多いだろう。
例えば、一家の主人であれば、妻子を食べさせ、子供がまともな人間になるよう必要なことをする責任がある。
会社の経営者であれば、取引先との約束を果たし、ちゃんと利益を出して従業員の生活を保障する責任がある。
しかし、責任を持ってそうしたいと思っても、出来るかどうかは分からないのだ。
ラマナ・マハルシがこう言った通りだ。
「働く運命にあれば仕事は避けられない。だが、働く運命になければ、いくら探しても仕事は見つからない」
では、せめて、浮気やギャンブルで家庭を壊さないようにしよう、会社の金を使い込んだり、無能な息子や甥っ子を重役にするような馬鹿な真似だけはやめようというのは、良い心掛けである。
だが、それでも、そんな愚かな真似を、やってしまう時はやるものなのだ。
これにも、ラマナ・マハルシのこんな話がある。
「隣の家の奥さんが魅力的過ぎて間違いを犯しそうだ」と言う男に対し、マハルシは、「そうなっても後悔するな」と言ったのだ。
間違いを犯す時は犯してしまうのだ。
上の話を、理屈で説得させようとは思わない。
そこで、たまたまアニメの話だが、実際にありそうなことを言う。
『灼眼のシャナ』で、ヒロインのシャナが超人化した直後、天目一個という強敵といきなり戦う。
戦いの中で、どうにも勝ち目がないと感じたシャナは、捨て身の戦法を取って勝つ。
シャナは言う。
「うまくいったのはたまたまだって分かってる」
失敗して負ける可能性の方がずっと高かったわけだ。
あるいは、『俺だけレベルアップな件』で、主人公の水篠旬が、イグリットという、とんでもない強い騎士と戦う場面がある。
絶体絶命の状態から逆転勝利した旬は言う。
「勝てたのはまぐれだろう」
旬は、あらゆる面で、相手がはるかに上だったことをしっかり理解しており、勝ったのは幸運でしかないことが分かっていたのだ。
彼らは運で勝ったのであり、自分の力で勝ったわけではない。
だが、彼らの勝ちに価値がないわけではない。
むしろ、運で勝ったことに価値がある。
いや、正確に言えば、運でしか勝てないのである。
天目一個もイグリットも、その後、ずっと、シャナや旬に仕えた。
きっと、シャナも旬も、自分に責任を取る力がないことが分かっていたのだろう。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)ラマナ・マハルシとの対話 第一巻
(2)誰がかまうもんか?!(ラメッシ・バルセカール)
(3)灼眼のシャナ ※Amazon dアニメストア for Prime Video
(4)俺だけレベルアップな件 ※Amazon dアニメストア for Prime Video

AIアート1721
「ラプンツェル」
Kay
後には成功したが、若い時には大失敗状態だった男がいた。
実家が大金持ちで、大金と野望を持って事業を始めたが、詐欺に遭って莫大な借金を背負う。
さらに事故に遭って脚を折って働けなくなるという、「弱り目に祟り目」の典型であった。
その中で、彼はキリスト教徒になったので、神様という頼る相手が出来た。
そこで、彼は、神様にこう祈った。
「これまでの私の人生の失敗は私の責任です。でも、これからの私の人生の責任はあなたに取って欲しい」
人によっては・・・というか、普通の日本人なら、ほとんどの人が呆れるかもしれない。
彼は、具体的には、
「私はもう35歳です。これはという仕事を下さい」
と神様に祈った。
すると、その翌日、百科事典の販売会社から、セールスマンとしてスカウトされた。スカウトと言っても、普通の勧誘と思うが。
※当時(昭和30年代か40年代)は、百科事典を訪問セールスするのは珍しくなかった。
彼はその後、セールスマンとして大成功した。
「これからは、神様に責任を取って欲しい」という意味を少し説明したい。
これはつまり、「私は責任を負わないよ」ということで、これを無責任と言うのかもしれない。
しかし、人間に責任は取れない・・・というのが宇宙の真理なのだ。
「まあ、妄想家はそう思えば良いが、責任ある立場なら、そんなことは言えない」と言いたい人も多いだろう。
例えば、一家の主人であれば、妻子を食べさせ、子供がまともな人間になるよう必要なことをする責任がある。
会社の経営者であれば、取引先との約束を果たし、ちゃんと利益を出して従業員の生活を保障する責任がある。
しかし、責任を持ってそうしたいと思っても、出来るかどうかは分からないのだ。
ラマナ・マハルシがこう言った通りだ。
「働く運命にあれば仕事は避けられない。だが、働く運命になければ、いくら探しても仕事は見つからない」
では、せめて、浮気やギャンブルで家庭を壊さないようにしよう、会社の金を使い込んだり、無能な息子や甥っ子を重役にするような馬鹿な真似だけはやめようというのは、良い心掛けである。
だが、それでも、そんな愚かな真似を、やってしまう時はやるものなのだ。
これにも、ラマナ・マハルシのこんな話がある。
「隣の家の奥さんが魅力的過ぎて間違いを犯しそうだ」と言う男に対し、マハルシは、「そうなっても後悔するな」と言ったのだ。
間違いを犯す時は犯してしまうのだ。
上の話を、理屈で説得させようとは思わない。
そこで、たまたまアニメの話だが、実際にありそうなことを言う。
『灼眼のシャナ』で、ヒロインのシャナが超人化した直後、天目一個という強敵といきなり戦う。
戦いの中で、どうにも勝ち目がないと感じたシャナは、捨て身の戦法を取って勝つ。
シャナは言う。
「うまくいったのはたまたまだって分かってる」
失敗して負ける可能性の方がずっと高かったわけだ。
あるいは、『俺だけレベルアップな件』で、主人公の水篠旬が、イグリットという、とんでもない強い騎士と戦う場面がある。
絶体絶命の状態から逆転勝利した旬は言う。
「勝てたのはまぐれだろう」
旬は、あらゆる面で、相手がはるかに上だったことをしっかり理解しており、勝ったのは幸運でしかないことが分かっていたのだ。
彼らは運で勝ったのであり、自分の力で勝ったわけではない。
だが、彼らの勝ちに価値がないわけではない。
むしろ、運で勝ったことに価値がある。
いや、正確に言えば、運でしか勝てないのである。
天目一個もイグリットも、その後、ずっと、シャナや旬に仕えた。
きっと、シャナも旬も、自分に責任を取る力がないことが分かっていたのだろう。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)ラマナ・マハルシとの対話 第一巻
(2)誰がかまうもんか?!(ラメッシ・バルセカール)
(3)灼眼のシャナ ※Amazon dアニメストア for Prime Video
(4)俺だけレベルアップな件 ※Amazon dアニメストア for Prime Video

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