「馬鹿の一つ覚え」は、ほとんど悪い意味で使われる。
だが、磨き抜いた「馬鹿の一つ覚え」で成功した者が案外多いことが、なぜか語られない。
なぜ、そのことが語られないのかというと、学校の否定になるからというのが大きな理由ではないか?
特に、日本の学校では、全ての生徒にあらゆることを勉強させる。それで、頭が悪い者は全員落ちこぼれる。
そんなやり方では、頭が悪い者がいくら努力しても駄目なのだ。

頭が良い堀江貴文さんは、「引き算が出来ないやつは沢山いる。そんなやつらが引き算をする必要はない。いや、働く必要はない」と言っていたと思う。
馬鹿は足手まといになるので、職場に入れない方が良いというのが主な趣旨であると思う。
しかし、かなりの馬鹿だって、引き算というか、四則計算だけをやらせたら、十分マスター出来るのである。
そして、それでかなりの仕事が出来ると思う。
それを、他の科目の教師の雇用を守るため、あれもこれもとやらせるから、計算すらマスター出来ないのだ。
計算に特化したら、遅くとも中学卒業までに、世間で必要な計算なら出来るようになる。
世間で必要な計算とは、九九と、100以下の数字の計算くらいだ。後は電卓を使えば良い。

MIT(世界最高ランキングの工科大学)なら、大学院からでも良いと言われた物理学で優秀な日本のある高校生が、日本では大学受験に合格出来ないのだと言う。
私は高校生の時、社会の教師に、「君は数学は出来るらしいが、社会で落としてやる(落第させてやる)」と言われたことがある。
社会科は全く無視して勉強していなかったのだ。
だが、社会に出て社会科が役に立ったことは一度もないし、社会で必要な社会学とは、学校で教わらないことばかりだと思う。

アメリカの大リーグ(メジャーリーグ)野球でも、守備しか出来ないが高年棒の選手や、投手でも、ナックルボールしか投げられない大投手というのもいる。

自分の能力が限られていると自覚すれば・・・言い換えれば、自分は大したやつだという妄想から幸いに目覚めることが出来れば、馬鹿の一つ覚えに徹するのが良いと思う。
ゼネラリスト(汎用型)になって、言われたことを何でもやらさせ続けるより、馬鹿の一つ覚えでスペシャリスト(特化型)になって、自分のやりたいことをやった方が楽しい。
そりゃ、たとえばプログラマーでも、コミュニケーション能力や管理能力等は必要だが、それは常識的な範囲で十分で、簡単に身に付く。
それに、1つのことで実力がつけば、余裕が出来て、自ずと、その他のことも、ある程度出来るようになる。

法然、親鸞は、念仏特化を説いたのだ。
そうすれば、阿弥陀如来・・・つまり、宇宙の魂、宇宙の活力が全て面倒見てくれる。
それが分かれば、必要な資質は自然についてくるのだと思う。
念仏は、「南無阿弥陀仏」でなくても「宇宙の活力が助けてくれる」でも良い。
私も、能力がないので特化型でやってきた。おかげで駄目なりに優雅である。

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(1)新版 歎異抄 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)
(2)選択本願念仏集 法然の教え (角川ソフィア文庫)
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(4)マスターの教え(ジョン・マクドナルド)

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