運が良い人は、ロクでもない人間に見えても、どこか立派なところがあるものだ。
逆に言えば、全く見るべきところもない者が、どれほど運が良くなるメソッドをやっても無駄かもしれない。
たとえば、斎藤一人さんが「ツイてる」と言えば必ずつくと言っても、やっぱり駄目なやつもいるはずだ。
だが、駄目なやつであっても、立派なところが一つでもあれば、運が良くなるかもしれない。

ある有名な武道家は、若い頃、決して褒められた人間ではなかったが、どんなことがあっても弱い者いじめだけはしないと誓っていたらしい。そんな彼の成功物語には、まさかの幸運な出来事がよく見られる。
また、強欲な商人がいて、汚いこともやり、嫌われることも多かったが、意外にも彼は、貧しい人々に施しすることを本当に楽しみにしていた。それで、順風漫歩とはいかないながら、何度も絶体絶命のピンチを、奇跡的な強運で免れているのである。

戦争中に海軍にいて、乗っていた船が5度も米軍の軍艦の魚雷で撃沈されながら生き延びた強運の男がいた。彼は大変な酒好きで、あまり立派な人間ではなかったかもしれないが、船が沈む際には、必ず、漂流に必要な材木を、他の者のために用意してやったし、漂流中には、サメの恐怖に怯える者を励ましたらしい。
ある超モテモテの人気男性タレントは、どんなに寄ってきても、未成年の女性には絶対に手を出さなかったと言う。ただ、成人女性相手にはだらしないところもあったようだが、そこは認めていたようだ。

で、わが心の幸運術の師、丹波哲郎が素晴らしい。
彼は、若い頃は、自分で認める正真正銘のロクデナシだった。
そんな彼の小学校の通信簿の性格蘭には、教師による悪口がいっぱいであったらしいが、教師も1つくらいは褒めないといけないと思ったのか、「丹波君はものにこだわらないところが良い」と書いたらしい。
この「ものにこだわらない」こそ、幸運の秘中の秘である。
ものにこだわらないとは、何を見ても、「良い悪い」「好き嫌い」の判定をなるべくしないことだ。
運が悪い者は、良いか悪いか白黒をはっきりさせたがり、好き嫌いが激しい。

念仏を唱える人も運が良い。
ところで、「南無阿弥陀仏」の南無は「帰依するという意味じゃ」と言うセンセイが多いが、「礼拝する」「ご挨拶申し上げます」くらいに思って良いと思う。
「アヴェ・マリア」という言葉も「こんにちは、マリア」「ごきげんよう、マリア」という程度の意味らしい。
南無も、実際に、「挨拶する」くらいの意味でも使われるらしく、「南無阿弥陀仏」も、「こんにちは、阿弥陀様」「ごきげんよう、阿弥陀様」くらいの気持ちで唱えれば良いと思う。
妙好人、因幡の源左の口癖は「ようこそようこそ」であったらしいが、これが南無の正しい意味と思う。
つまり「ようこそ、阿弥陀様」という気持ちを持つと共に、あらゆる人を、阿弥陀仏として大切にしたのだと思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)大山倍達正伝(小島 一志)
(2)変な人が書いた驚くほどツイてる話 (斎藤一人)
(3)因果応報の法則(丹波哲郎)
(4)増補改訂版 誰でも勝てる!完全「ケンカ」マニュアル(林悦道)

シエスタ
AIアート1703
「シエスタ」
Kay

  
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