太古の昔から言われ続けていることが面白く感じる言葉として知られているのが、「今の若者はだらしない」である。
ところで、思っているより古くから言われていると思われる言葉が「最近の人間は薄情になった」といった感じの言葉だ。
「最近の人間は人間味がなくなった」「世知辛い世の中になった」「人の心が失われた」などとも言われるが、簡単に言えば「親切でなくなった」「優しくなくなった」という意味だ。
いや、「親切でない」「優しくない」では本質的ではないと思う。
やはり、「利己的になった」であり、「利他的でなくなった」と言った方が真相に迫っているだろう。
人間が万物の霊長と言われ、他の動物との違いが明確であるのは、頭が良いこともだが、それよりも「利他的である」ことだ。
動物だって、一見利他的なことをするように見えることもあるが、実際は、利他的に見える行動にも合理的な説明がつけられ、本当に利他的であるわけではない。
人間だけが、合理的でない利他的なことが出来る。
半世紀以上前に、どこが主催したものか知らないが、伝説的な実験が行われた。
通勤通学で多くの通行人がいる道で、道に倒れて苦しそうに悶える演技をしたら、通行人が助けようとするか・・・という、今やったら訴えられかねない実験だ。
結果、誰も、苦しんでいる人を助けようとはせず、極めて稀に、助けようとする人がいる・・・ということが分かった。
ところで、『葬送のフリーレン』という人気アニメで、魔王を倒した勇者ヒンメルは、困っている人を見たら、必ず手助けをする人であると描かれている。
フリーレンやフェルンもそれに倣うように人々に親切にするし、シュタルクとなると、ヒンメル並に慈悲深い。
しかし、助けている内容を見れば、荷物運びだの、壊れたものの修理だのといった、単純なものばかりで、それを、アニメでは、ヒンメルらが温かい心を持っているように描く。
だが、実際の親切、実際の利他的なことって、もっと「シンドイ」「ドロドロしたことが多い」ものである。
『神様のメモ帳』の平坂組(ヤクザ)の若き組長、雛村壮一郎(ひなむらそういちろう)は、
「助けるのは身内とそのダチまでだ。どこかで線引きしないとやってられない」
と言うが、これには「本当は線引きしたくない」という気持ちが読み取れる。
つまり、ヒンメルのように、無制限に手を差し伸べることは現実的には無理であるということだ。
笹沢佐保さんの時代劇小説『木枯し紋次郎』で、主人公の旅の渡世人(博打打)である紋次郎のセリフで有名なのが、
「あっしにゃあ、かかわりねえこってござんす」
で、紋次郎は非情であることを積極的に貫く。
紋次郎は、倒れて苦しがっている人を見ても無視して通り過ぎるし、小説には、彼は目の前で女が殺されようとしていても決して助けないといったことが書かれている。
ところで、『木枯し紋次郎』のテレビドラマの方で、こんな場面があった。
紋次郎を見た中年のおばさんが、「若い娘がヤクザ連中に山の中に連れていかれるのを見た。助けてやって欲しい」と言う。
しかし紋次郎は「あっしにゃ、かかわりねえこって」と言って行ってしまうが、その顔が苦しそうであった。
小説にも、紋次郎だって、本当は助けたくないわけではないが、いちいち手を差し伸べていたら、命がいくつあっても足りないから助けないのだと書かれていた。
だが、紋次郎は、いったんは無視しようとして、何の得もないのに、結局助けてしまうことがよくある。
著者の笹沢佐保さんは、「やるやると言ってやらないやつらばかりなので、やらないやらないと言いつつやる人間を書きたかった」といったことを言っていたと思う。
だが、紋次郎がかかわってしまうことは命がけで、何度も殺されかけるが、紋次郎は一切の見返りを求めないばかりか、感謝も受け取らない。
ヒンメルなど足元にも及ばない高潔さだと思う。
本当に利他的であることは生易しいことではない。
一見利他的に見える行為・・・小さな親切は大きなお世話であることも多く、かえって迷惑だったり加害的であることだってある。
だが、人生というのは、本当に利他的になれるかを試してくる。
あくまで、その人の器に応じた範囲で。
それに対応することで、知恵が磨かれ、霊的な力も増す。いや、実は、そんなことでないと本当の力は得られない。
そして、逃げたところで、何度でも試されることが起こる。
いつまでも逃げていたら、来世を待つまでもなく、利他的でない動物になるのである。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)木枯し紋次郎(一)(笹沢佐保)
(2)木枯し紋次郎 DVD-BOX I
(3)神様のメモ帳(杉井光)
(4)神様のメモ帳 ※Amazon dアニメストア for Prime Video
(5)葬送のフリーレン ※Amazon Prime Video

AIアート1698
「揺らめく光」
Kay
ところで、思っているより古くから言われていると思われる言葉が「最近の人間は薄情になった」といった感じの言葉だ。
「最近の人間は人間味がなくなった」「世知辛い世の中になった」「人の心が失われた」などとも言われるが、簡単に言えば「親切でなくなった」「優しくなくなった」という意味だ。
いや、「親切でない」「優しくない」では本質的ではないと思う。
やはり、「利己的になった」であり、「利他的でなくなった」と言った方が真相に迫っているだろう。
人間が万物の霊長と言われ、他の動物との違いが明確であるのは、頭が良いこともだが、それよりも「利他的である」ことだ。
動物だって、一見利他的なことをするように見えることもあるが、実際は、利他的に見える行動にも合理的な説明がつけられ、本当に利他的であるわけではない。
人間だけが、合理的でない利他的なことが出来る。
半世紀以上前に、どこが主催したものか知らないが、伝説的な実験が行われた。
通勤通学で多くの通行人がいる道で、道に倒れて苦しそうに悶える演技をしたら、通行人が助けようとするか・・・という、今やったら訴えられかねない実験だ。
結果、誰も、苦しんでいる人を助けようとはせず、極めて稀に、助けようとする人がいる・・・ということが分かった。
ところで、『葬送のフリーレン』という人気アニメで、魔王を倒した勇者ヒンメルは、困っている人を見たら、必ず手助けをする人であると描かれている。
フリーレンやフェルンもそれに倣うように人々に親切にするし、シュタルクとなると、ヒンメル並に慈悲深い。
しかし、助けている内容を見れば、荷物運びだの、壊れたものの修理だのといった、単純なものばかりで、それを、アニメでは、ヒンメルらが温かい心を持っているように描く。
だが、実際の親切、実際の利他的なことって、もっと「シンドイ」「ドロドロしたことが多い」ものである。
『神様のメモ帳』の平坂組(ヤクザ)の若き組長、雛村壮一郎(ひなむらそういちろう)は、
「助けるのは身内とそのダチまでだ。どこかで線引きしないとやってられない」
と言うが、これには「本当は線引きしたくない」という気持ちが読み取れる。
つまり、ヒンメルのように、無制限に手を差し伸べることは現実的には無理であるということだ。
笹沢佐保さんの時代劇小説『木枯し紋次郎』で、主人公の旅の渡世人(博打打)である紋次郎のセリフで有名なのが、
「あっしにゃあ、かかわりねえこってござんす」
で、紋次郎は非情であることを積極的に貫く。
紋次郎は、倒れて苦しがっている人を見ても無視して通り過ぎるし、小説には、彼は目の前で女が殺されようとしていても決して助けないといったことが書かれている。
ところで、『木枯し紋次郎』のテレビドラマの方で、こんな場面があった。
紋次郎を見た中年のおばさんが、「若い娘がヤクザ連中に山の中に連れていかれるのを見た。助けてやって欲しい」と言う。
しかし紋次郎は「あっしにゃ、かかわりねえこって」と言って行ってしまうが、その顔が苦しそうであった。
小説にも、紋次郎だって、本当は助けたくないわけではないが、いちいち手を差し伸べていたら、命がいくつあっても足りないから助けないのだと書かれていた。
だが、紋次郎は、いったんは無視しようとして、何の得もないのに、結局助けてしまうことがよくある。
著者の笹沢佐保さんは、「やるやると言ってやらないやつらばかりなので、やらないやらないと言いつつやる人間を書きたかった」といったことを言っていたと思う。
だが、紋次郎がかかわってしまうことは命がけで、何度も殺されかけるが、紋次郎は一切の見返りを求めないばかりか、感謝も受け取らない。
ヒンメルなど足元にも及ばない高潔さだと思う。
本当に利他的であることは生易しいことではない。
一見利他的に見える行為・・・小さな親切は大きなお世話であることも多く、かえって迷惑だったり加害的であることだってある。
だが、人生というのは、本当に利他的になれるかを試してくる。
あくまで、その人の器に応じた範囲で。
それに対応することで、知恵が磨かれ、霊的な力も増す。いや、実は、そんなことでないと本当の力は得られない。
そして、逃げたところで、何度でも試されることが起こる。
いつまでも逃げていたら、来世を待つまでもなく、利他的でない動物になるのである。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)木枯し紋次郎(一)(笹沢佐保)
(2)木枯し紋次郎 DVD-BOX I
(3)神様のメモ帳(杉井光)
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